2017年06月29日

歌詞まちがい

Every Little ThingのTime goes byという歌をご存知でしょうか?

私の好きな歌の一つなのですが、特に好きな歌詞があったのです。

サビのところに、ゆっくりと気を感じて、という歌詞が出てきます。

う〜ん、ゆっくりと気を感じて、か。なんと気功的な歌詞だろう、と感じ入ったのです。

妻のゆりかに、その歌詞の話をしたら、ゆりか、にゃ〜っと笑いながら、

「ゆっくりと気を感じて、ではなく、ゆっくり時を感じて、が正しい歌詞だよ」

と言ったのです。

ああ、私はず〜っと歌詞を間違えていたのでした。

でも私的には ゆっくり時を感じて、ではなく、ゆっくりと気を感じて、の方がしっくりくるのです(笑)

武術、武道をやってらっしゃる方、私と同じような歌詞まちがいをした方もいらっしゃるのでは?(笑)
posted by ロン at 21:26| 日記

散打大会

前回と共通する話です。

三十代の時、第一回北海道散打大会に出場したことがあります。

オープンの大会なので、内家拳以外にも、さまざまな門派、流派が参加した大会でした。

ルールは、防具はボクシング用のヘットギアだけ、手には綿なしの薄い皮手袋で、突き、蹴り、立ち関節、投げありの過激なものでした。ポイント制ではなく、試合の全体の流れを見て、主審が勝敗を決めます。もちろんノックアウトしたらその時点でお終いです。

当時、私はサラリーマン(営業職)なので、怪我(特に顔)は絶対避けなければなりませんでした。

私はたしかシード選手で二回戦から出場でしたので、一回戦の試合を見ていると、口を切る人、鼻血を出す人、鼻を骨折する人もいて、内心やばいな〜とびびったものでした(私は自分を基本的に憶病だと思っています)

そこで私は相手の闘争心を刺激しないという姑息な作戦を思いつきました。

正面からぶつかり合って戦うと、相手も闘争心全開で向かってくるものです。なので、相手が出てくると、相手が出る距離と同じくらい下がったり、横に逸れたりして、ぶつかり合うのを避けました(相手が出た距離と同じくらいの距離で下がる、逸れるのがミソで、ただ逃げたりしたら、どんどん追いつめられますが、一定の距離内で下がったり、逸れたりするだけだと、相手も反撃を警戒して追いつめることが難しくなります)

しかしただ距離をとるだけでは負けてしまいますから、相手が私に距離を取られて、わずかでもバランスを崩した瞬間に接近して、突き(相手にも怪我をさせたくなかったので、ヘッドギアの上から叩ける横からの掌打を多用しました)を放ち、相手がむきになって打ち合いに入ろうとした時には、すでに距離を取っていました。

そんな戦法で全試合を戦いました。

結果、運も味方して怪我もダメージもなく(相手にも怪我をさせることなく)優勝することが出来ましたが、後から主審の内家拳師範からこんなことを言われました。

「川村さんと戦った相手は皆、やる気が出ないというか、力が入らないというか、実力を発揮出来なくなってしまうようですね」

こんな経験もヒントとなって、相手とぶつからない、相手を何とかしようと思わない、相手と対立しない、相手を受け入れる、相手と一体になる、相手を思いやる、相手を自分と思う、自分と相手にやさしく等、練精会の心の持ちようが生まれたのかも知れません。

練精会の武術、武道はいかに勝つかより、いかに負けないか、のほうを大切にしています。会員さんもそんな気持ちで、対練、組み手に向き合って下さい。

対立よりも融和を求めたいと思っています。
posted by ロン at 19:31| 日記

相手を自分と思う

相手と接触したら、その接触感覚を頼りに、自分と相手の境目(区別)を無くしていくことがとても大切だと思っています。

相手を自分と思うこと・・・

相手の身体が自分なら、相手=自分を崩したり、投げたりすることは容易になります。

なぜなら相手なら、崩されない、投げられまいと防御したり、あるいは逆に崩そう、投げようと反撃しますが、相手が自分なら、防御反応も、反撃反応も無くなるからです。

相手を自分(の一部)だと感じることによって、相手との一体化が生まれ、相手の身体を自分の身体のように制御して、制することが可能になると私は考えています。

そのための第一歩は相手を拒否しない、相手を何とかしてやろうと思わない、相手を受け入れる、相手を思いやる、ことです。

会員さんは、そんな気持ちを持って、対練、組み手に臨んで下さい。
posted by ロン at 10:49| 日記

2017年06月28日

通る

会員さんから

「先生は動いている時(型、対練、組み手)は身体にどんな意識を感じているのですか?」

とたまに質問される時があります。

答えはその時々によって違うのですが、こんな風に答えている時が多いようです。

「あまり・・・何も・・・感じてはいないようです。なにせ動くことに(楽しくて)夢中なので(笑)・・・ただ漠然とですが、通る感覚を感じる時があります。通るとは、頭のてっぺんから足裏まで何かか通っている感覚です。その何かとは重力かも知れませんし、そうでないかも知れません。ただ何かが通っていると感じる時が、もっと滑らかにに淀みなく動けて、もっとも相手に重さが伝わるように思います。ただ、その通る感覚を作為的に感じようとすると、すぐに通る感覚は無くなってしまいますが・・・(笑)」

そしてつけ加えます。

「通る感覚の時、最小の動きで、最大の効果を発揮することが出来るように感じていますが、通る感覚を得ようと思っても、難しいように思います。通る感覚は得るというより、訪れるのを待つ、しかないようです。とにかく身体の力を抜いて、抜いて、さらに抜いて、さらにさらに抜いているうちに、自然に訪れるものでなのです」

未熟でまだまだ不十分な私ですが、会員さんにはこんな答えしているようです。
posted by ロン at 19:39| 日記

2017年06月18日

重さの伝達

練精会の重さの伝達による技を大きな動き、小さな動きで表現してています。

会員さんは参考にして下さい。

https://www.youtube.com/watch?v=3cL3XFvIdBA&feature=youtu.

posted by ロン at 11:47| 日記