組み手において、前回はこうだったから(過去)とか、今回はこうしてやろう(未来)とかに囚われることなく、ただ淡々と 「今」にいることがとても大切だと思っています。
心が過去や未来に囚われてしまうと、身体は力み、、ぎこちなく、バラバラで、あやふやで・・・とても不自然なものになるのではないでしょうか。
だから心はいつでも「今」に在るべきだと私は考えています。心が「今」なら身体も「今」に在ります。
そうなれば、身体はゆるみ、滑らかで、つながっていて、まとまりがあり・・・とても自然なものになるのではないでしょうか。
「今」に在るためには、自分の心が過去に囚われているのか、未来に囚われているのか知ることが大事です。
私もまだまだ全然未熟ですが、会員さんも組み手で、あっまた・・・とか、ここをこうすれば・・・とか思ったなら、それは過去や未来に囚われているサインですよ。注意しましょう。
2019年08月29日
2019年08月28日
空間への意識
副代表のゆりかもブログで書いていましたが、組み手の際の空間へ広がる意識はとても大切な感覚です。
組み手において、自分に意識を集めたら、相手の動きに遅れてしまう。また相手に意識を集めたら、自分の動きが疎かになってしまう・・・
意識は自分にも、相手にも向かう必要があり、そんな意識状態を空間への意識と読んでいます。
自分の意識が肉体の外まで伸びて、空間に球体状に拡大していく感覚・・・
自分は相手であり、相手は自分であり、自分は周りの空間そのものでもある感覚・・・
そんな意識状態であれば、相手のどんな動きにも何気なく対応し、また他人数が相手の場合でも、死角方向にいる相手の動きも感知することが可能になるかもしれません。
会員さんも組み手の時は、やられてもいいと思って、周囲に意識を拡大しようとトライしてみて下さい。
最初は何がなんだか分からず、戸惑われると思いますが、次第に慣れて来ると思います。
組み手において、自分に意識を集めたら、相手の動きに遅れてしまう。また相手に意識を集めたら、自分の動きが疎かになってしまう・・・
意識は自分にも、相手にも向かう必要があり、そんな意識状態を空間への意識と読んでいます。
自分の意識が肉体の外まで伸びて、空間に球体状に拡大していく感覚・・・
自分は相手であり、相手は自分であり、自分は周りの空間そのものでもある感覚・・・
そんな意識状態であれば、相手のどんな動きにも何気なく対応し、また他人数が相手の場合でも、死角方向にいる相手の動きも感知することが可能になるかもしれません。
会員さんも組み手の時は、やられてもいいと思って、周囲に意識を拡大しようとトライしてみて下さい。
最初は何がなんだか分からず、戸惑われると思いますが、次第に慣れて来ると思います。
posted by ロン at 14:17| 日記
2019年08月24日
捨てれば増す
空体道は「捨てれば増す武術」だと思っています。
身体に本来必要な無いもの、力み、緊張、こわばり等々・・・これらを力を抜くことによって捨てていけば、不思議なことに身体の密度が増していくようです。
これが「捨てれば増す武術」です。逆説的ですが、上記のように身体から捨てるものが多ければ多いほど、身体の密度は増し続けます。
密度の高まった身体は重力の通った身体、重さそのものの身体です。そうなれば、相手にそっと触れただけで、全身全ての重さが伝わるようになると思っています。
会員さんも少しずつでよいので、身体から色々なものを捨てていきましょう。くれぐれも色々なものを付け加えて空体道から逆行しないように(笑)
身体に本来必要な無いもの、力み、緊張、こわばり等々・・・これらを力を抜くことによって捨てていけば、不思議なことに身体の密度が増していくようです。
これが「捨てれば増す武術」です。逆説的ですが、上記のように身体から捨てるものが多ければ多いほど、身体の密度は増し続けます。
密度の高まった身体は重力の通った身体、重さそのものの身体です。そうなれば、相手にそっと触れただけで、全身全ての重さが伝わるようになると思っています。
会員さんも少しずつでよいので、身体から色々なものを捨てていきましょう。くれぐれも色々なものを付け加えて空体道から逆行しないように(笑)
posted by ロン at 15:53| 日記
2019年08月20日
傍観者
組み手での意識についてのお話です。
組み手の時、自分が組み手をしているのですが、意識は第三者と言うか、傍観者的な視点を持ったとします。
すると相手の攻撃は「右の直突きが来た」「左前蹴りが来た」「投げ技に入ろうとしている」と言うように物事を物事のまま捉えることでしょう。
でも自分と意識が同一化していると「突きが来た。まずい。どうしょう!」「蹴りが来た。嫌だ蹴られたくない!」「投げ技。投げられなくない。堪えなければ!」
物事を物事のまま捉えることなく、そこに感情が入ってしまいます。まずい・・・嫌だ・・・たくない・・・
この必要のない感情が会員さんの反応を鈍らせてしまうのです。これでは身体の力を抜くことは到底出来ません。
もっと傍観者的な視点で組み手に取り組んでみましょう。空体道の組み手は禁じ手はありませんが、ダメージを与えない範囲のソフト組み手です。ほんの少しは痛いことはあるかも知れませんが、怪我の心配はまずありません。
だからもっと相手を受け入れてください。そして感情を入れず、物事(相手の動き)をそのまま見て、感じて、対処して下さい。感情と自分を同一視してはいけないのです。
と言っている私もまだまだ自分と思考が同一化して、身体本来の能力を発揮出来ているとは言えません・・・とほほ・・・これからも昇進あるのみです!
組み手の時、自分が組み手をしているのですが、意識は第三者と言うか、傍観者的な視点を持ったとします。
すると相手の攻撃は「右の直突きが来た」「左前蹴りが来た」「投げ技に入ろうとしている」と言うように物事を物事のまま捉えることでしょう。
でも自分と意識が同一化していると「突きが来た。まずい。どうしょう!」「蹴りが来た。嫌だ蹴られたくない!」「投げ技。投げられなくない。堪えなければ!」
物事を物事のまま捉えることなく、そこに感情が入ってしまいます。まずい・・・嫌だ・・・たくない・・・
この必要のない感情が会員さんの反応を鈍らせてしまうのです。これでは身体の力を抜くことは到底出来ません。
もっと傍観者的な視点で組み手に取り組んでみましょう。空体道の組み手は禁じ手はありませんが、ダメージを与えない範囲のソフト組み手です。ほんの少しは痛いことはあるかも知れませんが、怪我の心配はまずありません。
だからもっと相手を受け入れてください。そして感情を入れず、物事(相手の動き)をそのまま見て、感じて、対処して下さい。感情と自分を同一視してはいけないのです。
と言っている私もまだまだ自分と思考が同一化して、身体本来の能力を発揮出来ているとは言えません・・・とほほ・・・これからも昇進あるのみです!
posted by ロン at 18:48| 日記