2020年03月31日

可能性

よく脳の能力を人は10パーセントしか使っていないと言われます。

それが科学的、医学的に本当かどうか私には分かりません(でも脳にはまだ未知の可能性の領域があることは信じています)

また人は身体の能力を10パーセントしか使えていない、と言う言葉があるのなら私は賛同したいと思います。10パーセントと言う数値はともかくとして、身体に秘められた能力の大部分は使いきれていないように思えます。

そしてその身体の可能性(脳の可能性も含む)を引き出すことに、武術、武道が役に立つと私は考えます。

空体道においてはその可能性を脱力によって開花させる手段をとっています。

身体の力を抜ききり、重さを足裏まで落として地球とつながり、全身に重さを通して、重力と調和すること。

そうやって可能性の扉を開けたいと思っています。

まだまだ未熟ですが、そう信じて今日も一人稽古を続けます。
posted by ロン at 11:02| 日記

2020年03月30日

突きについて

副代表のゆりかが空体道の突きについて、砲弾と発射台と言うタイトルで分かりやすく解説してくれたので、私も少し書いてみようと思います。

突きにおいて砲弾は拳(腕)、発射台は全身となります。

この発射台の安定なしには、強力な砲弾を打ち出すことは出来ません。

では空体道として、どう発射台を安定させるのかと言えば、一に脱力、二に脱力、三に脱力が大基本となります。まあ、いつもの通りの答えなのです(笑)

脱力により身体の重さをすべて足裏まで落とすことが出来たなら、全身(発射台)を地面と重力がしっかりと支えてくれるのです。

身体の重さがすべて足裏まで落ちれば、全身に重力が通るり、身体は地面と一体化します。こうなれば、どんな強力の砲弾でも打ち出すことが可能になると私は思っています。

と書いてはいますが、私もまだまだ未熟で全力で砲弾(突き)を打ち出すと、発射台(身体)が壊れそうなほど反動(振動)を受けてしまいます。

まだまだ修行が足りません。脱力、脱力あるのみです。

posted by ロン at 21:18| 日記

擬音

今日も今日とて居間で一人稽古です。

緩める稽古をぶらぶらと、立つ稽古をじっくりと、歩く稽古をゆっくりと、動く稽古をまったりと・・・

ぶらぶら、じっくり、ゆっくり、まったり・・・ひたすら稽古を続けることによって身体の質は少しずつ、少しずつ変わっていきます。

身体の質を劇的に変える稽古を私は知りません。だから、ぶらぶら、じっくり、ゆっくり、まったりの稽古を続けるしかないのです。

ぶらぶら、じっくり、ゆっくり、まったりの稽古は身体に負担が少ないので、私のように還暦を過ぎた人間でも何時間も続けることが出来るのです。そこが空体道の良いところかもしれません。

ぶらぶら(腕振り、足振り、腰伸ばし、体振り)、じっくり(上下法、前後法、左右法、立禅)、ゆっくり(前進歩、後退歩)、まったり(空法)・・・

あ、そうだ、ぼっ!の稽古を忘れていました。ぼっ!の稽古は突きでした。

なので一人稽古は、ぶらぶら、じっくり、ゆっくり、まったり、ぼっ! ですね(笑)
posted by ロン at 15:51| 日記

2020年03月29日

空体道クイズ

会員さんへ空体道クイズを出題します。

相手に両手を持たれ、その持たれた両手を上にあげて相手のバランスを崩し、そのまま投げるという対練をしたとします。

その際の空体道の意識として正しいのは以下の三つの中のどれでしょう?

一 相手を崩し投げることに意識が向いている

二 相手の手を上げることに意識が向いている。

三 自分の手を上げることに意識が向いている。

答えは会員さんはもうご存知ですよね。

空体道では三が正解となります。

一 では結果(崩す投げる)に囚われていて、相手の手を上げることが出来ません・・・技はかかりません。

二 では相手の存在(抵抗する相手の手を何としても上げなければ)に囚われていて、相手の手を上げることが出来ません・・・技はかかりません。

三 結果にも相手の存在にも囚われず、ただ自分の手を上げることだけに意識が向いているので、自然に身体の能力が発揮され、相手の手を上げることが出来る。手が上がれば相手はバランスを崩され、結果として投げることが出来る・・・技はかかります。

相手がいようと、相手がどんな動きをしようと、自分はただ自分が出来る自然な動きをすることができた時に、おのずから身体の能力は発揮されると私は思っています。

posted by ロン at 13:46| 日記

2020年03月28日

相手は二の次

私が相手を崩したり、投げたりする時の意識についての説明です。

相手を崩す時、投げる時に、私は相手を崩そうとも投げようとも思ってはいないのです。相手は二の次なのです。

相手も崩そうではなく、投げようではなく、ただ自分の腕を上げる、下げる、あるいは伸ばす、縮める・・・あくまで自分の動きに意識が向かっているようです。相手をどうこうしようとはあまり思っていないのです。

なので自分の腕を動かした結果として、何となく相手が崩れたり、投げられたりしているのです。

相手にそして結果に囚われず、ただ動きたいように(自然に)自分の腕を動かすことによって、身体の可能性が発揮されると私は思っています。

前にアップした動画ですが、上記のような意識を持って(結果として)相手を崩したり、投げたりしている動画です。会員さんは参考にして下さい。

https://www.youtube.com/watch?v=yx5GY1FFlfk

posted by ロン at 18:14| 日記