2021年03月30日

何を

立禅で何を練っているのでしょうか?

空体道の立禅で練っているのは「重さ」です。

立禅時に力を抜いて、力を抜いて、さらに力を抜いていき、重さを全身に行き渡らせるのです。

そして行き渡った重さの密度を高めて行き、全身を重さの塊と化していくのです。

空体道では、年齢差、体格差、性別差の壁を全身の重さで乗り越えていこうとしています。

その最も基本で、最も重要な稽古が立禅(と歩行)と言えるのです。

空体道では立つ事(立禅)、歩く事(歩行法)が上達しないかぎり、その先の動く事(型、対練、組み手)が不十分になってしまいます。

そのことを会員さんは忘れないで下さいね。
posted by ロン at 16:04| 日記

2021年03月29日

足の存在

脱力に特化した武術、空体道では足(脚)の存在がけっこう厄介なのです。

打撃にしても、崩しや投げにしても、どうしても足(脚)で地面を踏みしめて(蹴り上げて)力を出したくなるものです。

でもいつもそうやっていたら脚に力みが生じやすくなり、空体道の命である重さの活用が難しくなってしまいます。

足で地面を踏みしめる(蹴り上げる)行為はそう簡単には直らないものです(ただあくまで脱力の武術でのお話なので、足で地面を踏みしめる行為そのものは脱力の武術でなければ何も問題ないと思います)

で、どう克服するかと言えば、今まで通り力を抜く稽古を長く続けることでいつか自然に解消されるのですが、それでは少し不親切だと思いますので、会員さんにワンポイントアドバイスです。

いつも足と地面との間に薄紙があると思ってください。そしてその薄紙を破らないようなイメージで動いてみて下さい。

地面を踏みしめたり(蹴り上げたり)したら、薄紙はすぐに破れてしまいます。なので常にそ〜っと、そ〜っと、静かに、そして滑らかに動くのです。

型も対練も組み手もつねにそうやって動いてください。そのイメージを持ち続けていれば、そのうち足(脚)で地面を踏みしめたり(蹴り上げたり)しなくなるかもしれませんよ。
posted by ロン at 20:26| 日記

2021年03月28日

重さの感覚

私の個人的な重さに対する感覚のお話です。

私個人の感覚の中では、重さは身体の中を移動するものでも、流れるものでもありません。

重さは全身にみっしりと充満しているものとの感覚があります。頭から胴体、手足と重さが満ち満ちている感覚です。

その感覚で言えば、重さは相手に伝えるものと言うより、相手に伝わるものと言いった感じでしょうか。

なので打撃も崩しも投げも、ただ普通におこなうだけなので、特殊な身体操作も特殊な意識操作もありません。

それが良いのか悪いのかは正直分からないのですが、武術を30数年続けてきた中での感覚なので、それをそのまま受け入れるしかないのが実情です。

多分、会員さんのほとんどが、この重さの充実感、満ち満ち感がまだ足りないのでしょう。なので対練や組み手で相手を簡単に打ったり、崩したり、投げたりが難しいのです。まあ、相手も必死で抵抗しますので中々上手くいかないのは仕方がないことではありますが(私もまだまだ未熟です)

とにかく会員さんは、身体に重さが充満する、満ち満ちる、と言う言葉を覚えておいて下さい。でも作為的にそうなろうとしてはいけません。力みの原因になってしまいますから。

力を抜く空体道の稽古を長く長く続けていると、いつかそのような状態が自然に訪れるようになります。それを気長に待つことです。

待てば海路の日和あり、です、会員さん。
posted by ロン at 19:05| 日記

2021年03月26日

ほんの一生

私の好きな昔のテレビドラマ「燃えよカンフー」の外伝で、主人公ケイン(元少林寺の僧)に大きくなってから出会った息子が尋ねます。

「貴方の武術を身につけるのに何年かかりますか?」

ケインは少し笑って答えます。

「ほんの一生さ、息子よ」

私はこのやり取りがとても気に入っています。空体道の思想に近いからです。

脱力に特化した武術を本当の意味で身につけるには長い時間がかかります。でも武術の目的を大会や試合におかないのであれば、長い時間に何の問題もないと私は思うのです。

私は61歳ですが、まだまだ未熟も未熟です。でもその未熟さは私の伸びしろでもあるのです。だからこれからも長い時間(年数)をかけて武術を探求していきます。まだまだ伸び続けます。何せ空体道を修めるには、ほんの一生かかるからです。

でも本当は一生かけても修めたとは思えないでしょうね。武術(私の場合は空体道)にこれでよい段階は無いと思っていますから・・・
posted by ロン at 21:28| 日記

2021年03月25日

先へ

前にアップした動画ですが、こんなことがある程度ですが出来るようになったのは何年前なのかよく覚えてはいません。10年前くらいでしょうか。昔はこんなことが出来るようになるとはまったく思っていませんでした。

https://www.youtube.com/watch?v=yx5GY1FFlfk

で、出来てみるとそこに満足していない自分がいます。動画が1年前のものですが、この時もまだ相手を崩す時に身体の負担を少し感じていましたし、今はかなり減ってはいますが、負担をまったく感じないようにはなっていません。

だからもっといけるはずだ、と言う気持ちが消えません。もっと身体の負担がなくなり、もっと楽に、もっと何も感じず、もっと相手が崩れ、もっと相手が投げられ、もっと相手が吹っ飛ぶことが可能なはず。

だからこの動画を見るといつも自分の至らなさを感じてしまいます(今は反面教師として見るようにしています)

先へ、もっと先へ、もっと進んだ(武術の)世界を見てみたい。それが稽古のモチベーションになっているようです。

前に書いた私の頭の中の幻の師匠(私がかってに作り上げた理想の師匠)から見たら、今の自分はよくて20パーセント以下ぐらいでしょうか。

ため息と共にやる気も出ます。その先に80パーセント以上の可能性が待っていてくれているからです。

これからも見果てぬその先を目指していきます。
posted by ロン at 15:40| 日記