脱力が進み、身体に重さが通って、重力と調和し始めた(空体道としての)身体の質について、少し書いてみようと思います。
その身体は柔らかいと言うより、どちらかと言えば硬く見えるかもしれません。もちろん力んでガチガチの硬さではなく、重さが全身に詰まっいるのでそのように見えるのです。
またその動きは流れるようではなく、どちらかと無骨に見えるかもしれません。もちろん無骨だからぎこちないわけではなく、重さにより全身が統一されている(まとまっている)のでそのように見えるのです。
そして技の見た目は華麗ではなく、どちらかと言えば単純に見えるかもしれません。もちろん単純だから利きが悪いわけではなく、単純に動いたほうがより全身の重さが威力として伝わるので、結果として単純なように見えるのです。
以上はあくまで空体道としての理想の身体(の質)として会員さんは受け取ってくださいね。
で、私はと言えばそんな身体の質にはまだまだ全然(笑)・・・ただひたちすら精進、精進、そして精進です。
来週からは空体道教室は水曜日と土曜日の週二回の稽古となります。水曜日の会員さんに会えるのが楽しみです。
2021年10月25日
淡々と
62歳になりました。
以前は早く進歩したい、早く高みに登りたい、早く次なる次元を知りたい、と気負っていたこともありましたが、今はただ淡々と歳を重ねるようになりました。
「何のことはない。ほんの一生武術の修行続ければよいだけ」これが今の心境でしょうか。
何か諦念のように感じられるかもしれませんが、実は逆なのです。62歳になっても自分の可能性の限界を知ることはありません。まだまだず〜っと先まで行けると言う確固たる思いがあるので、焦る必要を感じなくなっただけなのです。
なのでこれからもただ淡々と武術修行を続けます。そしてそれが何より幸せなことだと思っているのです。
以前は早く進歩したい、早く高みに登りたい、早く次なる次元を知りたい、と気負っていたこともありましたが、今はただ淡々と歳を重ねるようになりました。
「何のことはない。ほんの一生武術の修行続ければよいだけ」これが今の心境でしょうか。
何か諦念のように感じられるかもしれませんが、実は逆なのです。62歳になっても自分の可能性の限界を知ることはありません。まだまだず〜っと先まで行けると言う確固たる思いがあるので、焦る必要を感じなくなっただけなのです。
なのでこれからもただ淡々と武術修行を続けます。そしてそれが何より幸せなことだと思っているのです。
posted by ロン at 16:04| 日記
2021年10月19日
見果てぬ夢
私が空体道で理想としているは、相手と接触した瞬間にすべてを終わらせる境地です。
相手の攻撃に対して、こちらはその攻撃に手(腕)をただ触れるだけで、相手が硬直する、あるいは地面に崩れてしまう。
防御がそのまま攻撃と化す境地。
今の段階ではその境地は先の先の更に先の先・・・道は遥か遠くです。
しかしその理想に向かっていく方法は(あくまで私なりの方法にとしてですが)理解しているつもりです。
その方法はいつも書いていること、すなわち全身に重さを通し、全身が重さそのものとなり、重力と調和すること・・・書くと簡単に思えるですが、これが本当に大変で、膨大な時間が必要なのだと実感しています。
見果てぬ夢・・・
しかしまあ一生かけて追求する目標があると言うのは、なんだかんだ言ってもとても幸せなことだと近頃しみじみ思っている次第です。
相手の攻撃に対して、こちらはその攻撃に手(腕)をただ触れるだけで、相手が硬直する、あるいは地面に崩れてしまう。
防御がそのまま攻撃と化す境地。
今の段階ではその境地は先の先の更に先の先・・・道は遥か遠くです。
しかしその理想に向かっていく方法は(あくまで私なりの方法にとしてですが)理解しているつもりです。
その方法はいつも書いていること、すなわち全身に重さを通し、全身が重さそのものとなり、重力と調和すること・・・書くと簡単に思えるですが、これが本当に大変で、膨大な時間が必要なのだと実感しています。
見果てぬ夢・・・
しかしまあ一生かけて追求する目標があると言うのは、なんだかんだ言ってもとても幸せなことだと近頃しみじみ思っている次第です。
posted by ロン at 22:22| 日記
2021年10月17日
重さが溜まる
私は時々会員さんに「重さが溜まる」とか言うことがあります。
「重さが溜まる」とはあくまで感覚的表現なのですが、 私の内面には確かにその感覚が存在して、それが稽古によって年々高まっている(溜まってきている)のを実感しています。
「重さが溜まる」とは、全身に重さが満ちている感覚。身体の先端の指先、足先までみっしりと重さが詰まっている状態なのです。
「重さが溜まる」ようにするためには、空体道では、立禅法、上下法、前後法、左右法、回転法、歩行法が重要になります。静かに立ち続ける。じっくり定歩で上下に、前後に、左右に、回転して動く。ゆっくり前に歩き、そして後ろに歩く。
このような地味で単調な稽古を長い期間続けることによって、少しずつ少しずつ重さが身体に溜まってくるのです。
この重さが溜まった身体がなければ、武術としての空体道はありません。なので会員さんは上記の「重さが溜まる」身体を目指して稽古に励んで下さい。
あ、重さが溜まるとは、もちろん体重を増やすことはではありませんので、お間違えのないように(笑)
「重さが溜まる」とはあくまで感覚的表現なのですが、 私の内面には確かにその感覚が存在して、それが稽古によって年々高まっている(溜まってきている)のを実感しています。
「重さが溜まる」とは、全身に重さが満ちている感覚。身体の先端の指先、足先までみっしりと重さが詰まっている状態なのです。
「重さが溜まる」ようにするためには、空体道では、立禅法、上下法、前後法、左右法、回転法、歩行法が重要になります。静かに立ち続ける。じっくり定歩で上下に、前後に、左右に、回転して動く。ゆっくり前に歩き、そして後ろに歩く。
このような地味で単調な稽古を長い期間続けることによって、少しずつ少しずつ重さが身体に溜まってくるのです。
この重さが溜まった身体がなければ、武術としての空体道はありません。なので会員さんは上記の「重さが溜まる」身体を目指して稽古に励んで下さい。
あ、重さが溜まるとは、もちろん体重を増やすことはではありませんので、お間違えのないように(笑)
posted by ロン at 16:58| 日記
2021年10月15日
統一体
空体道の脱力は統一体への道です。
全身の力を抜き、全身に重さを通し、全身と重力を調和させ、統一体へと至る。
空体道の統一体をまだ具体的に説明は出来ません。なぜなら残念ながら私がまだ統一体へ至っていないからです。
しかし統一体への入り口と言うか、その僅かな片鱗だけは体現することが出来るようになっては来ました。
だから副代表や会員の皆さんへ私との対練や組み手で体験させているのは、その統一体の僅かな片鱗なのです。
私は片鱗しか体現出来ませんが、統一体の可能性の高さ、素晴らしさを僅かでも知ってしまったからにはもう後戻りすることは出来ません。一生かけてその可能性を追求したいと思っています。
今回の養身法の上下法、前後法、左右法、回転法(当初は、上下、前後、左右の三つだったのですが、それに回転法が加わって四つになりました)の追加もその追求心の現われなのです。
コロナ禍はまだ終わっていません。いつまた稽古が中止になるか分からない状況ですので、会員さんは来れるうちに稽古に参加して、新しい養身法を覚えてくださいね。
全身の力を抜き、全身に重さを通し、全身と重力を調和させ、統一体へと至る。
空体道の統一体をまだ具体的に説明は出来ません。なぜなら残念ながら私がまだ統一体へ至っていないからです。
しかし統一体への入り口と言うか、その僅かな片鱗だけは体現することが出来るようになっては来ました。
だから副代表や会員の皆さんへ私との対練や組み手で体験させているのは、その統一体の僅かな片鱗なのです。
私は片鱗しか体現出来ませんが、統一体の可能性の高さ、素晴らしさを僅かでも知ってしまったからにはもう後戻りすることは出来ません。一生かけてその可能性を追求したいと思っています。
今回の養身法の上下法、前後法、左右法、回転法(当初は、上下、前後、左右の三つだったのですが、それに回転法が加わって四つになりました)の追加もその追求心の現われなのです。
コロナ禍はまだ終わっていません。いつまた稽古が中止になるか分からない状況ですので、会員さんは来れるうちに稽古に参加して、新しい養身法を覚えてくださいね。
posted by ロン at 20:27| 日記