2021年12月28日

感覚

身体の力が抜けて、重さが何の引っ掛かりもなく、頭から足裏まで落ちた時の感覚を方便として、

「頭から足裏まで軸が通る感覚」とか「中心が定まり、丹田から全身が膨張する感覚」とか「身体が一つに統一される感覚」とか表現することがあります。

これから感覚は突き詰めると一つの言葉として言うことが出来ます。

それは「重力感覚」です。力が抜け、全身に重力(重さ)が通り、重力と調和した身体感覚を「重力感覚」と呼びます。

ただ会員の皆さんに最初から「重力感覚」と言っても実感しづらいと思い、方便として上記のような様々な感覚として説明していますが、空体道の本質はただ一つ「重力感覚」しかありません。

その感覚を白帯の皆さんは、まだまったく実感出来ないでしょうし、茶帯の皆さんは、何となくおぼろげに、漠然としてほんの少しは感じられるかも知れません。そして黒帯の皆さは少しだですが、たまに実感として感じることがあるのではないでしょうか。

「重力感覚」を実感出来る身体の可能性は本当に素晴らしいものだと思っています。重力とともに動き、重力とともに打ち、蹴り、重力とともに崩し、投げること・・そこには体格、年齢、性別を超越した武術の世界が広がっているのだと私は信じています。

「重力感覚」は週一回や二回の教室だけでは感じることは難しいです。教室以外の自主練も大切になってきます。

これからも教室に、自主練に、私と一緒に「重力感覚」を目指していきましょう。



posted by ロン at 12:10| 日記

2021年12月27日

身体で考える

会員の皆さんが、空体道の対練や組み手で、重さを上手く使えないのは、頭で考えすぎて、身体で考えていないせいもあるのです。

頭と身体は一体とならなければ本当の重さは使えません。でも会員の皆さんは、意識的にしろ無意識的にしろ頭を使いすぎているのです。そのため頭(意識)と身体のバランスが崩れてしまっています。

本来一体であるものが、一体でなくなれば、その本来持っている能力を発揮することは出来ません。

身体で考えることは、身体(の能力)を信頼すること、身体(の能力)に任せること、身体(の能力)にゆだること。

このように身体を信頼し、任せ、ゆだねることによって、頭と身体のバランスが整い、本当の重さが目覚めるのです。

もっと身体で考えましょう。
posted by ロン at 10:37| 日記

2021年12月17日

自分中心

空体道は自分中心の武術と言えるかもしれません。

対練にしろ組み手にしろ、相手の事はあまり意識しません。重さを伝えようとも、技をかけようとも思わないのです。

会員の皆さんは、相手をどうこうしようと思いすぎているのです。そしてその思いが自分の姿勢(バランス)を崩していることに気づいていません。

なので極論すぎるとは思いますが、相手はどうでもよいのです。相手より自分がどうあるのかに思いを寄せてみてはいかがでしょうか。

相手はあなたではないので、あなたの思うように打たれたり、蹴られたり、崩れたり、投げられたりしてはくれません。そう思い相手をコントロールしようとすることを諦めることです。

そして相手に囚われている意識を解放して、自分自身が気持ちよく感じる動きをすればよいのです。結果などどうでもよいのです。ただ純粋に自分の動きを楽しんで下さい。

そうやって対練や組み手の稽古を長く続けているうちに、いつか「あれ、こんな楽な動きで(相手を)打てた、崩せた、投げた」と思う日が来ることでしょう。
posted by ロン at 16:56| 日記

2021年12月11日

根幹

人の生まれてからの進歩の順番は、立つ、歩く、動く、だと思っています。

なので空体道の体系にも、同じように立つ、歩く、動く、稽古があります。

立つは、立禅法(並行立ち、前屈立ち、後屈立ち)、重心法(上下法、前後法、左右法、回転法)、歩くは、歩行法(前進歩、後退歩)、動くは、空法(十二種の型)と対練、組み手。

で、何と言っても空体道の稽古の根幹は、立つこと、歩くことにあります。何故なら立つ稽古、歩く稽古で、身体の質を空体道としての理想の質に近づけることが出来るからです。

立つこと、歩くことが十分でなければ、動くこと(特に対練、組み手)も当然上手くはなりません。

立つこと、歩くことは、重さで立ち、重さで歩くことを学ぶこと。そして重力と調和して立つこと、歩くことを学ぶことです。

だから会員さんは(そして私も)こう自覚して稽古に臨んで下さい。「私は何十年も生きてきたが、いまだに立つことも、歩くことも出来ていない」そして「だから進歩の最初に戻って、立つこと、歩くことをしっかり学ばなければいけない」と。





posted by ロン at 10:59| 日記

2021年12月09日

反比例

打撃技、崩し技、投技等、空体道の技は反比例の技だと思っています。

より軽く、より何気なくに打撃しているように見える動きの方が、相手により深いダメージを負わせる。

より楽に、より普通に崩したり、投げたりしているように見える動きの方が、本気で抵抗する相手を簡単に崩したり、投げたりすることが出来る。

それは空体道が脱力により、全身全ての重さを武器にしているからです。より軽く、より何気なく、より楽に、より普通に見える動きの方がより相手に重さが伝わるのです。

ここで難しいのは空体道の前の経験(日常生活)から、あんな動きでは威力が伝わるわけがないと、無意識に頭と身体が思ってしまう、反応してしまうことです。

この思い込みを捨て去るのが本当に難しいのです。空体道の対練は相手がしっかり抵抗しますし、自由攻防の組み手においてはなおさらです。

発想を変えることです。技が出来なければいけない、成功させなければだめだ、と言う思いを捨てることです。出来なくていい、いやむしろ力むくらいなら技は出来ないほうがいい、と言う諦念を持って稽古の臨んで下さい。

そんな思いを持って稽古を続けるうちに、いつか自然と動きがより軽く、より何気なく、より楽に、より普通になっていき、それと反比例して技のキレ、技の威力が増していくでしょう。


posted by ロン at 12:57| 日記