2022年01月19日

感覚は・・・

武術を長年続けていると、様々な身体感覚が訪れるものです。

その感覚は私の場合つねに変わり続けているようです。

そして思うのです。この前まで良いと思っていた感覚がじつはたいしたことがなく、また以前たいしたことがないと思っていた感覚が実は大切かもしれないと思い、そしてその大切な感覚もよくよく感じているうちに、やはりたいしたことがないと思い・・・

こんな風に感覚は私の身体の中をぐるぐると回り続けます。

で、最近とみに思うのですが、感覚を感覚と感じているうちはまだまだ未熟だと。

本当に力が抜けて、身体が重力と調和したなら、たぶん感覚は無い感覚となっていることでしょう。

それはただ立って、ただ歩いて、ただ動いて、ただ闘う境地。自然そのものの境地。

そこには全然届いていません。いまだ未熟も未熟。

でも以前に比べると、その感覚に囚われることが少なくなっているのも感じています。感覚が小さく、小さくなってきているようです。

感覚を大切に、そして感覚に囚われず・・・いつかその先へたどり着けるように、稽古、稽古です。
posted by ロン at 21:20| 日記

2022年01月17日

ぼ〜っ

対練や組み手で、こう思う会員さんもいるかもしれません。

「この人は耐久力もあるし、技はかからないかもしれない」「この前も組み手でやられた。今回も・・・」

こう思うことは悪い事ではありません。むしろ自然な反応なのだと思います。武術にしろ、世の中にしろ、すべて自分の思うようにはいかないものです。

大事なことは、そんな思いと自分を同一視(一体化)しないと言うことです。思いと自分を同一視してしまうと、結果もその思い通りになりがちなのです。

思いと自分を切り離すことです。例えば「この人は耐久力もあるし、技がかからないかもしれない、と自分は思っているのだな〜ふ〜ん」こんな感じで思いと自分に距離を置くことです。

まあ、簡単に言えば、思いに引きずられることなく、ぼ〜っと傍観者、観察者のように思いをただ感じていればよいのです。

自分と思いに距離が出来て、結果を気にせず、ただぼ〜っとして対練なり、組み手にのぞむことが出来たなら、その時、結果は自然についてくるものです。

会員さんは、自分ではなく、自分を観察している自分、自分を傍観している自分と言う感覚を大切にして下さいね。

posted by ロン at 19:28| 日記

2022年01月07日

増し続ける

加齢と共に身体のあらゆるものが減り続けます。

視力、聴力、筋力、瞬発力、持久力、反応力、回復力等々・・・

でも加齢に関係なく重さは増し続けることが出来ます(もちろん体重増加の意味ではありません)

身体の力が抜ければ抜けるほど、重さは増し続けます。そこに加齢のハンデはありません。

また重さが増し続ける度に、技の威力(打撃、崩し、投げ)も増し続けます。

以上の思いから、空体道は重さに特化した、脱力に特化した武術に体系づけたのです。

私は62歳。まだまだ未熟でこれからが本番です。70になっても80になっても、いつになっても重さが増し続けられるように、稽古を続けます。

posted by ロン at 15:31| 日記

2022年01月02日

空手について

空体道は中国武術の内家三拳、日本武道の合気道、空手道の影響から創られたものですが、今回はその空手に関するお話です。

私は空手道は学んだと言うより、空手道を修行されている方々との交流組み手を通しての影響が強いのです。

その空手なのですが流派によって様々な戦闘スタイルがあることを交流組み手で実感しました。

遠間から矢のように飛び込んでの突き蹴りを得意とする流派、中距離、接近戦での重い突きと変幻自在な蹴りを得意とする流派、近距離の間合いから相手の攻撃を受けると同時にカウンターの強烈な突きを繰り出す流派・・・

どのスタイルの空手も、しっかり修行されている方は当たり前ですが、皆様とても素晴らしく本当に勉強になりました。

で、今回はその中で、近距離の間合いから相手の攻撃を受けると同時にカウンターの強烈な突きを繰り出す流派の方々との交流について書きたいと思います。

その流派の方とはたしか4人の方(もちろん皆黒帯の方々です)と交流組み手をしたのですが、独特の間合い(前手が触れ合う距離)から放たれるノーモーションの突きが特徴で、その威力は絶大でもらうとスーパーセーフ面が吹っ飛ばされるほどの威力でした。

同じようにして打ち合ったらダメージをおってしまうので、相手の両手を封じるようにしての掌打で対応しましたが、打ちつ、打たれつ、大変よい勉強をさせていただきました。

この交流によって、武術は変化ももちろん大切ですが、あまり変化せずに必倒の突きに全てをかけることの大切さも知ることが出来たのです。

上記の交流の影響で、妄想、幻想かもしれませんが、ただ相手に触れて(一触)制する境地への探究心が芽生えたのかもしれません。

以上のように交流をした武道はとにかく空手を修行されている方々が一番多く、その組み手経験なしには空体道は生まれなかったかもしれません。

なので私と交流組み手をしていただいた空手諸流派すべての方々には感謝の念しかありません。ありがとうございました。押忍。

ちなみに空体道の三人の黒帯(妻のゆりかと二人の男性)も皆、元空手修行者でした。これ私の空手つながりの縁でしょうか(笑)






posted by ロン at 16:35| 日記