2022年06月16日

空体道の投げ技の感覚

空体道では、身体の力が抜けるごとに、投げ技は大きな動きから、小さな動きへ、そしてさらに何気ない動きへと進歩していきます。

https://www.youtube.com/watch?v=_r1fyYEMmFk&t=13s

その解説動画です。会員さんは参考にして下さい。
posted by ロン at 22:19| 日記

2022年06月13日

自然体

空体道では平行立ちになり、パートナーに横から、前から、後からと押してもらい、立つ力の安定を確認する稽古があります。

立つ力が増している人はもちろん限界はありますが、かなり強く押されても姿勢を維持することが出来ます。

今回は、その姿勢の安定についてお話したいと思っています。

結論から言えば、身体も心もただ自然に立っていれば良いのです。

押されまいと思えば思うほど、身体に緊張が生まれ簡単に押されてしまいます。また身体のどこかの部位に意識が集まってしまっても、身体のバランスが崩れてやはり押されてしまいます・・・

だから押されまいと思わず、身体のどこかの部位に意識を集めず、何も思わず、何もせずに、ただ立っていることこそ大切なのです。

もちろん空体道では脱力が大事なので、立つ時は力を抜く必要はありますが、それ以外は何も必要ありません。

空体道で言う自然体とは、何度もお話していることですが、力が抜け重力と調和した身体の状態を示しています。

そう言っても最初は押されてしまうでしょうが、何も思わず、何もせずに、ただ立っているだけの状態でいいと思っていれば、やがて押されなくなる日が訪れることでしょう。

https://www.youtube.com/watch?v=RZoOCKMEkuY

前にアップしたその解説動画です。会員の皆さんは参考にして下さい。

posted by ロン at 17:27| 日記

2022年06月12日

現実と幻想

私はネットで様々な動画を出していますが、それは脱力によって全身に重さの通った身体の可能性の高さを知ってほしいとの思いから発信しているので、これが出来るから強いとか、無敵だと言っている訳ではありません。

30代から40代にかけて、中国武術各門派、空手諸流派、キックボクシング、ボクシング等々の沢山の方々との交流組み手、スパーリングを繰り返してきた経験がありますので、自分なりにですが、強さに対する現実と幻想の区別はついているつもりです。

本当に鍛え上げられた方とやれば、弟子相手に魔法のように見える技を使えたとしても、その技が実際にはほとんど通用しないことを私は今までの経験から十分に理解しています。

ただそれでも、私は幻想を追い求めて武術を追求、探求していくつもりです。幻想を追い求めて、それがいつか現実になる可能性があると信じているからです。

身体の力が抜け、重さが頭から足裏まで落ち、全身に重さが通って、重力と調和した身体まで到達した時、幻想が現実と変わると思っているのです。

まあ、見果てぬ夢と言ってしまえばそれまでですが、その見果てぬ夢を追い求めての武術修行もまた楽しからずやなのです。



posted by ロン at 22:59| 日記

2022年06月11日

学ぶは真似る

学ぶは真似ることから始まるとの言葉があります。

空体道でもそうです。ひたすら私の動きを真似ることに専念することによって、自然に空体道の体系が身についていきます。

私の外形の動きをひたすら真似て、真似て、真似て、真似ていくうちに、自然に私の内面の感覚も真似られるようになっていくものです。

極端な話ですが練習で意識すべきはそれだけでよいのです。

真似ることなしに学び取ることは出来ません。

他派の本を読んで参考にしてみたり、動画で他の武術の動きを参考してみても、空体道として得るものは何もありません。

あくまで空体道の稽古を通じて、私の動きを真似て、私との対練、組み手での感覚を頼りに、進むいがいに近道はないのです。

そんな思いから、現在は他派の武術を学びながら空体道も学びたいと来られる方の入門は基本、お断りしているのです。

なので会員さんは、あ〜でもない、こ〜でもないと考えすぎず、ただ私の動きを真似るだけの気持ちで稽古にのぞまれたほうが、結果として上達は早くなると思います。

posted by ロン at 22:48| 日記

2022年06月10日

かもめのジョナサン

「かもめのジョナサン」と言う(もう古いが有名な)小説があります。

その本の中で飛行の達人であるジョナサンが弟子のフレツチャーにこう言います。

「もうきみにはわたしは必要じゃないんだよ。きみに必要なのは、毎日少しずつ、自分が真の、無限であるフレッチャーであると発見し続けることなのだ。そのフレッチャーがきみの教師だ。きみに必要なのは、その師の言葉を理解し、その命ずるところを行うことなのだ」

この真の無限である自分を発見し続けることは、そのまま自分の武術の修練に置き換えることが出来ます。

まだまだジョナサンのような段階には至っていませんが、それでも空体道の修練を通じて、60代の今も自分の中の可能性を発見し続ける喜びを感じています。その喜びはこれから先もず〜っと続いていくことでしょう。
posted by ロン at 22:26| 日記