無心(むしん)と無身(むしん)は空体道にとって大切な言葉です。
今回は無心と無身という言葉について若干の説明したいと思います。
無心・・・自分の動きに囚われたり、相手の動きに囚われたり、つねに心が揺れ動くことがあっては、学んだ動き、学んだ技を表現することは出来ません。難しいことですが、無駄に考えることを止め、静かな心を持って、自分にそして相手にただ向き合うことが大切なのです。
無身・・・身体をどのように使うとか、あるいは使わないとか、いつでも「私」という意識で身体をコントロールしようとすると、動きに作為が入り、その動きは機械的で、ギクシャクしたものになってしまいます。身体を余計な「私」という意識で満たすことなく、身体の中を空にするのです。そして身体そのものに「私」をゆだね、あずけることによって、身体本来が持っている素晴らしい能力を引き出すことが出来るのです。
まあ、結局どらちも同じような説明になってしまいましたが(笑)、以上が空体道の無心と無身の簡単な説明です。
2022年08月28日
動画
今回の動画は相手との接触した手の柔らかさについてです。
相手との接触点が柔らかければ、柔らかいほど、こちらの全身の重さが相手に伝わり、相手は抵抗することが出来ずに崩れ、投げられてしまいます。
会員さんは参考にしてください。
https://www.youtube.com/watch?v=dlL0L_3AIok&t=65s
相手との接触点が柔らかければ、柔らかいほど、こちらの全身の重さが相手に伝わり、相手は抵抗することが出来ずに崩れ、投げられてしまいます。
会員さんは参考にしてください。
https://www.youtube.com/watch?v=dlL0L_3AIok&t=65s
posted by ロン at 23:12| 日記
2022年08月26日
2つの方便
私は脱力の状態を会員さんに理解しやすいように方便として色々な言葉で説明しています。
その中でも大切な2つの脱力感覚の方便を紹介したいと思います。
一つ目は、相手との接触点(面)はとにかくやりすぎなくらい柔らかく保つです。私は打撃では相手にやさしくやさしく接触するように打ち込むようにしています。また崩しや投げに関しても、相手にこれでもかと優しく接触するようにしています。
こう書くと「先生の打撃は身体の芯まで響くし、崩しや投げはどう抵抗しても根こそぎもっていかれるので、とてもやさしく接触されているようには思えない」と思う会員さんもいるかもしれませんが、私の技の威力は相手にやさしくやさしく接触しているからこそ生まれているのです。相手と優しく接触しようと心がけることによって、全身の力が均等に抜け、強力な重さが伝わるのです。
2つ目は、相手と自分が接触点を通して一体化(同一化)している意識を持つことです。相手との一体化の意識によって、相手はこちらの初動(技の起こり)を感じることが出来ず、防御反応が遅れてしまいます。この一体化の意識は打撃より、崩しや投げの際に特に有効となります。
以上簡単ですが説明してみました。会員さんは参考にして下さい。
その中でも大切な2つの脱力感覚の方便を紹介したいと思います。
一つ目は、相手との接触点(面)はとにかくやりすぎなくらい柔らかく保つです。私は打撃では相手にやさしくやさしく接触するように打ち込むようにしています。また崩しや投げに関しても、相手にこれでもかと優しく接触するようにしています。
こう書くと「先生の打撃は身体の芯まで響くし、崩しや投げはどう抵抗しても根こそぎもっていかれるので、とてもやさしく接触されているようには思えない」と思う会員さんもいるかもしれませんが、私の技の威力は相手にやさしくやさしく接触しているからこそ生まれているのです。相手と優しく接触しようと心がけることによって、全身の力が均等に抜け、強力な重さが伝わるのです。
2つ目は、相手と自分が接触点を通して一体化(同一化)している意識を持つことです。相手との一体化の意識によって、相手はこちらの初動(技の起こり)を感じることが出来ず、防御反応が遅れてしまいます。この一体化の意識は打撃より、崩しや投げの際に特に有効となります。
以上簡単ですが説明してみました。会員さんは参考にして下さい。
posted by ロン at 19:39| 日記
2022年08月25日
一人反省会
稽古の後、寝る前に一人反省会をいつもおこなっています。
自分の脱力について、重さの感覚について、技の感覚について、重力との調和について・・・
そんなことを考えるといつも反省、反省の日々です。
会員さんは私が反省しているとはまったく思っていないかもしれませんね。何の問題もなく、会員さんを打ったり、崩したり、投げたりしているように見えると思います。
たしかにそうなのですが、私はまだまだず〜っと進歩、進化し続けたいので、現状にはまったく満足していないのです。だからその点は会員の皆さんと一緒です。あ〜でもない、こ〜でもないと、もんもんとする夜もあるのです。
人は生きている限り、常に上を目指し続ける生き物のような気がしています。それが私は好きなようです。
と言うわけで、今日の稽古の一人反省会をこれからおこなう予定です(笑)
自分の脱力について、重さの感覚について、技の感覚について、重力との調和について・・・
そんなことを考えるといつも反省、反省の日々です。
会員さんは私が反省しているとはまったく思っていないかもしれませんね。何の問題もなく、会員さんを打ったり、崩したり、投げたりしているように見えると思います。
たしかにそうなのですが、私はまだまだず〜っと進歩、進化し続けたいので、現状にはまったく満足していないのです。だからその点は会員の皆さんと一緒です。あ〜でもない、こ〜でもないと、もんもんとする夜もあるのです。
人は生きている限り、常に上を目指し続ける生き物のような気がしています。それが私は好きなようです。
と言うわけで、今日の稽古の一人反省会をこれからおこなう予定です(笑)
posted by ロン at 23:19| 日記
2022年08月24日
20パーセント?
理想とする武術の段階に、今の自分がどのくらい近づけているかと言えば、よくても20パーセンぐらいだと思っています。
脱力が進み以前より重さを使いこなすことが出来るようになりましたが、まだまだ未熟です。
例えばかなり身体を鍛え上げられた人に対して、私の崩し技や投げ技が通じるかと言えば、とりあえず通じる自信はありますが、そんな人が全力で抵抗すれば、今の私のレベルでは技をかける際、自分の身体にそれなりの負荷がかかると思っています。
鍛え上げられた人に技をかけられたとしても、身体に負荷がかかるのであれば、よりもっと鍛え上げられた人と対したら、今の私の技が通じないことも出てくるでしょう。
だから今は私は理想から20パーセントくらい。
もっともっと脱力を進歩させ、もっともっと全身に重さを通し、もっともっと重力と調和しなくてはいけません。そしてその先にどんなに鍛え上げられた人でも、自分の身体にまったく負荷がかからず技をかけられる理想の境地が待っているのだと思っています。
そんな境地を追求、探求することが楽しいもうすぐ63歳の私なのでした。
脱力が進み以前より重さを使いこなすことが出来るようになりましたが、まだまだ未熟です。
例えばかなり身体を鍛え上げられた人に対して、私の崩し技や投げ技が通じるかと言えば、とりあえず通じる自信はありますが、そんな人が全力で抵抗すれば、今の私のレベルでは技をかける際、自分の身体にそれなりの負荷がかかると思っています。
鍛え上げられた人に技をかけられたとしても、身体に負荷がかかるのであれば、よりもっと鍛え上げられた人と対したら、今の私の技が通じないことも出てくるでしょう。
だから今は私は理想から20パーセントくらい。
もっともっと脱力を進歩させ、もっともっと全身に重さを通し、もっともっと重力と調和しなくてはいけません。そしてその先にどんなに鍛え上げられた人でも、自分の身体にまったく負荷がかからず技をかけられる理想の境地が待っているのだと思っています。
そんな境地を追求、探求することが楽しいもうすぐ63歳の私なのでした。
posted by ロン at 21:36| 日記