2022年10月29日

最小で・・・

私はいつも会員の皆さんに、空体道は立つ力が本質なのだと話していますが、今回はその効果について少し説明したいと思います。

それは、最小の動きで強力な威力を生みだせる点にあるのです。

空体道の立禅法、重心法、歩行法を繰り返し稽古することによって、身体の力が抜け、重さが足裏まですべて落ちるようになり、全身に重力が通る身体に近づくと、大きな動きによる技が必要なくなっていきます。

打撃技、崩し技、投げ技等、すべての技に関して、大きな動きで力を溜める必要がなく、何気なく見える最小の動きで強力な威力を生み出すことが出来るのです。

最小の動きで威力を生み出す力の源は、全身の重さ(重力)です。全身に重さが通っていれば、身体のある部分から攻撃部位(例えば拳や足)に威力を伝える(流す)必要が無くなります。すでに立っているだけで全身に威力(重さ)が通っているからです。

しかしそれには上記の長所以外にもちろん短所も存在します。それは威力を生み出す身体の質を獲得するのに非常に長い年月を必要とする点です。

5年ではまだまだ全然。10年やってもやはりまだまだです。15年やってもやっぱりまだまだ不十分・・・まあそれでも15年くらいやれば、ほんの少しは上達するかもしれませんが、理想にはほど遠いレベルです。

私は会員さんよりは高いレベルにいますので、会員さんに最小の動きの威力を少しは体験させてあげることは出来ますが、それでもまだまだ未熟なレベルでしかありません。

空体道の修行は一生ものです。のんびり一生続けるくらいの気持ちで稽古を続けたら、いつか最小の動きにたどり着けるかもしれませんね。

「先生、この武術は何年ぐらいで身に付くものなのでしょうか?」

見学される方からこんな質問を受けることがあります。そんな時はテレビドラマ「燃えよカンフー」の主人公ケインのセリフを引用するようにしています。

「ほんの一生です」








posted by ロン at 17:56| 日記

2022年10月28日

立つ力

副代表のゆりかも書いていましたが、空体道で一番大切なことは、戦闘技術でもなく、身体操作法でもなく、立つ力を養うことなのです。

立つ力を養うことによって、学んだ戦闘技術の威力が飛躍的に向上し、また身体操作法が無くても、身体の秘められた可能性を引き出すことが出来、そして何より歳をとっても衰えにくい身体の質になり、日常生活がとても楽になります。

なので空体道は立つ力無くしては成立しない武術と言えるのです。

その立つ力を養うためには、何度も書いていますが、立つこと(立禅法)、その場での重心移動(重心法)、ゆっくり静止を伴って歩くこと(歩行法)が何より重要です。

立つ力は週一回や週二回の教室での稽古では中々身に付くものではありません。教室の稽古と日々の一人稽古の両輪によってはじめて身に付くものなのです。

空体道の立禅法も重心法も歩行法も、高齢であっても無理なく行える練習法です。無理をすることなく楽におこなえる範囲で一人稽古を続けていれば、時間はかかりますがいつか立つ力が身体に宿っていることでしょう。

最後に空体道の格言を一つ・・・空体道では武術的に立つことが出来ないと、歩くことも、動くことも、そして戦うことも出来ない。


posted by ロン at 18:52| 日記

2022年10月22日

一人稽古の勧め

武術を向上させていく中で、一人稽古はとても大切な要素となります。

もちろん普段の会の稽古があってこその一人稽古ではありますが、一人稽古の充実なくして武術の質的向上は成しえないのでは、と私は思っています。

その一人稽古、普段の会の稽古の基本、型を繰り返せすだけで良いのですが、良いところはより自分の内面の感覚を感じやすい点にあります。内面を感じること、それが本当に大切なのです。

で、会員の皆さんに一人稽古における注意点を一つ。

一人稽古で生じた内面感覚を大切にし、かつその内面感覚を追わないようにすることです。

誰もいない中での一人稽古では、普段の稽古より自分の内面に意識が向きやすく、様々な内面感覚が訪れやすくなります。

その感覚は会員さんにとって、新鮮で気持ちよく、とても素晴らしいものに感じられることでしょう。

ただ問題なのは、その感覚こそが向上の唯一のポイントとだと思い込んでしまい、いつの一人稽古でもその感覚を再現しようとする点なのです。

そのように一つの感覚を追いすぎると、いつのまにか意識も動きも自然さを欠き、身体の中に重さが通ることもなく、重力との調和から遠ざってしまうのです。それは感覚に囚われている状態です。

一人稽古で生じた感覚は、会員さんにとっては進歩、向上の一過程でしかありません。なので感覚が生じたら、その感覚をそのままただ感じていればよいのです。感覚の傍観者であって下さい。

そうやって感覚の傍観者でいられたら、より一人稽古のが生きてくると私は思っています。そしていつか私が稽古で話している言葉の意味が実感をともなって理解出来ることでしょう。

posted by ロン at 18:42| 日記

2022年10月18日

感覚を追わない

空体道の稽古によって、ある程度の脱力の身体になると、打撃にしろ、投げにしろ、技の手ごたえがじょじょに無くなっていきます。

と言うか空体道では、技の手ごたえが無くなれば無くなるほど、技の威力が増大していくのです。なので会員さんが技の対練の時、私が補助してあげて脱力を増進させてあげると、会員さんはその技の効き具合にびっくりしてしまいます。

「え、こんなに楽にというか、軽く動いているだけなのに、あんなに技が効くなんて・・・」

そしてさらにこう思ってしまいます。

「いやいや、何の感覚も何の手ごたえも無く、あんなに簡単に技がかかるはずがない。私には知覚出来ないだけで、何かの感覚をあるはず。その感覚を探さねば。その感覚が見つかればさらに技の威力が増すはずだ」

この考えが間違いの元なのです。

感覚を追ってはいけません。ただ身体の力が抜ければ抜けるほど、技の手ごたえ(感覚)は希薄になり、それと反比例して技の威力は増す。この事実を事実として素直に受け入れればよいのです。でもそれまでに感覚は大事と思い込んできた会員さんにはそれが難しいのです。

もう一度言います。出来た時の感覚を追ってはいけません。自分が今まで良いと思っていた感覚に騙されてはいけません。感覚が無いと上手くいくはずがないといった思い込みに囚われてはいけません。

人の身体にはとても素晴らしい可能性(能力)が眠っています。会員さんはその可能性を信じて、不思議だろうが、不可解だろうが、事実を素直に受け入れ、今までの思い込みをリセットしていきましょう。










posted by ロン at 20:45| 日記

2022年10月17日

減っていく技

空体道の稽古で会員さんに型の応用として沢山の技を教えていますが、組手においては私の使う技は著しく減っているのを感じています。

減っていく技・・・これには二つの原因があります

一つ目の原因は、組手で多彩な技を使えるほど、身体が若くないからです。60代にもなると(あくまで私の個人的な感想です。60代でもしっかり動ける方も沢山いらっしゃると思います)、身体も思うようには動いてくれないのです。なので技を次から次へと繰り出すことは難しいし、息も切れ、とても億劫になるのです。何とも情けない原因ですが、事実なので仕方ありません。

二つ目の原因は、組手で多彩な技を繰り出す必要がなくなっているからなのです。まだまだ未熟ですが、会員さんに触れた時点で、私の重さによって会員さんをその場に居つかせたり(いつでも打撃を入れられる状態)、崩したり、投げたり出来るようになってきました。なので技らしい技を出すことなく会員さんを制することが可能なので、技にこだわることがなくなっているのです。

で、結論として組手でどんどん技が減っていくのは、自分としては好ましい状態だと思っているのです。今でこう状態ですから、この先70代、80代、90代と歳を重ねていけば、更に更に動けなくなっていくのは私にとっては必定な真理なのです。

だから60代の今から、技らしい技を出すことなく相手を制する組手を磨いておくことは、将来の保険となると私は思っています。

そのために、とにかく身体の力を抜いて、全身に重さを通し、重力と調和することをただひたすら目指したいと思う今日この頃です。
posted by ロン at 18:47| 日記