空体道の脱力の身体のお話です。
脱力がかなり進んでくると、身体が内面から膨らんでくるのを感じます。何というか、空気がパンパンに詰まっているような感覚です。
そしてそのような身体からは反発力が生まれます。こちらは何もせずに立っているだけですが、相手がこちらを押すとその反発力によって力がまるまる相手に反ってしまいます。
なぜそのような内面から膨らむ身体になるのかは私もよくわかりませんが、脱力により全身に重力(重さ)が通ることによって、身体が統一化されることが要因ではないかと思っています。
空体道では、白帯、茶帯の皆さんにはその感覚はまだありませんが、黒帯会員さんには少し感じることが出来ます。そう言っている私はどうがと言えば、当然会員さんよりその感覚が高いのですが、まだまだパンパンに膨らんでいることは言えないようです。
ただしこの感覚は作為を持って身に付ける訳ではなく、空体道ではただひたすらに稽古を続けることによって自然に身に付いていきますので、会員さんはその点には注意して稽古を続けていきましょう。
2022年11月18日
伸び続ける可能性
昔の会員さんが今の私の組手を見たらこう思うかもしれません。
「先生の動きは昔のような変幻自在な感じがなくなっている。また技も単純なものばかりで、昔のような変化技がみられない。さては先生、63歳になって衰えたのかも・・・」
この昔の会員さんも思いは半分当たっていて、半分外れています。
当たっているのは、50歳くらいまでの変幻自在の動きや変化にとんだ技はもう出来ない点です。
そして当たっていない点は昔と比べて私の組手が衰えていない点です。
私に昔のような動きは正直言って出来ません。しかし今はより小さな動き、より単純な動きで会員さんを制することが可能になっているのです。なので変幻自在な動き、変化にとんだ技は今の私には必要がないのです。
昔と今の会員さんの比較についても、昔の会員さんは他武術、他武道の有段者が多かったですが、今の黒帯会員さんも元は空手や柔道等の有段者や経験者ばかりなので、その強さについては変わりないと思っていますし、身体の質においては今の会員さんの方が上だと断言出来ます。
その会員さんを制すことが出来ているので、組手の衰えは無いと自負しています(もちろん他武術、他武道の誰よりも強いと言う分けではなく、あくまで私個人の過去と現在の比較のお話しです。私より強い方はいくらでもいらっしゃいます)
今回、何でこんなことを書いたのかと言えば、身体の質を磨き続ければ(空体道で言えば、脱力により全身に重さが通って重力と調和した身体の質)、過去の自分を凌駕し続けることが出来る可能性が確かにあることを会員さんに知ってほしいからです。
歳だから、小柄だから、痩せているから、女性だから、とあきらめる必要はありません。いつも言っていることですが、継続する意思だけあれば、それなりに年月はかかりますが、過去の自分を超え続けることは不可能ではありません。
伸び続けられる可能性を信じて、これからも一緒に稽古を続けましょう。
「先生の動きは昔のような変幻自在な感じがなくなっている。また技も単純なものばかりで、昔のような変化技がみられない。さては先生、63歳になって衰えたのかも・・・」
この昔の会員さんも思いは半分当たっていて、半分外れています。
当たっているのは、50歳くらいまでの変幻自在の動きや変化にとんだ技はもう出来ない点です。
そして当たっていない点は昔と比べて私の組手が衰えていない点です。
私に昔のような動きは正直言って出来ません。しかし今はより小さな動き、より単純な動きで会員さんを制することが可能になっているのです。なので変幻自在な動き、変化にとんだ技は今の私には必要がないのです。
昔と今の会員さんの比較についても、昔の会員さんは他武術、他武道の有段者が多かったですが、今の黒帯会員さんも元は空手や柔道等の有段者や経験者ばかりなので、その強さについては変わりないと思っていますし、身体の質においては今の会員さんの方が上だと断言出来ます。
その会員さんを制すことが出来ているので、組手の衰えは無いと自負しています(もちろん他武術、他武道の誰よりも強いと言う分けではなく、あくまで私個人の過去と現在の比較のお話しです。私より強い方はいくらでもいらっしゃいます)
今回、何でこんなことを書いたのかと言えば、身体の質を磨き続ければ(空体道で言えば、脱力により全身に重さが通って重力と調和した身体の質)、過去の自分を凌駕し続けることが出来る可能性が確かにあることを会員さんに知ってほしいからです。
歳だから、小柄だから、痩せているから、女性だから、とあきらめる必要はありません。いつも言っていることですが、継続する意思だけあれば、それなりに年月はかかりますが、過去の自分を超え続けることは不可能ではありません。
伸び続けられる可能性を信じて、これからも一緒に稽古を続けましょう。
posted by ロン at 22:58| 日記
2022年11月11日
出来ること、出来ないこと
63歳になった私が武術において出来なくなったこと、出来るようになったことをお話ししたいと思います。
30代の私に出来たこと・・・大きな動き、素早い動き、複雑な動き、力強い動き、躍動的な動き
63歳の私に出来ること・・・全身の力を抜いて動くこと
以上です。30代の頃はいろいろな動きが出来たのですが、60代の私には一つの動きしか出来ません。大きな動きも、素早い動きも、複雑な動きも、力強い動きも、躍動的な動きも、変化にとんだ動きも何一つ出来なくなりました。
こう書くと老いると何もかもが出来なるなるのか、と嘆いているように思われるかもしれませんが、そんなことはないのです。それはいろいろな動きをしなくても相手を制すことが出来るようになったからなのです。
全身の力を抜いて動けるようになったことによって、30代に出来たあらゆる動きを(あくまで自分なりにですが)武術的に凌駕出来ることが可能になってきたからです。
それくらい私にとって全身の力を抜き、頭から足裏まで重さを落とし、全身に重力が通った身体の質の素晴らしさ、可能性の高さが衝撃的だったのです。
だから今は安心して単調な、単純な、静的な稽古に打ち込むことが出来るようになりました。出来なくなったことを追わず、出来ることだけに集中して稽古すること。良くも悪くも今の私の一人稽古の内容です。
30代の私に出来たこと・・・大きな動き、素早い動き、複雑な動き、力強い動き、躍動的な動き
63歳の私に出来ること・・・全身の力を抜いて動くこと
以上です。30代の頃はいろいろな動きが出来たのですが、60代の私には一つの動きしか出来ません。大きな動きも、素早い動きも、複雑な動きも、力強い動きも、躍動的な動きも、変化にとんだ動きも何一つ出来なくなりました。
こう書くと老いると何もかもが出来なるなるのか、と嘆いているように思われるかもしれませんが、そんなことはないのです。それはいろいろな動きをしなくても相手を制すことが出来るようになったからなのです。
全身の力を抜いて動けるようになったことによって、30代に出来たあらゆる動きを(あくまで自分なりにですが)武術的に凌駕出来ることが可能になってきたからです。
それくらい私にとって全身の力を抜き、頭から足裏まで重さを落とし、全身に重力が通った身体の質の素晴らしさ、可能性の高さが衝撃的だったのです。
だから今は安心して単調な、単純な、静的な稽古に打ち込むことが出来るようになりました。出来なくなったことを追わず、出来ることだけに集中して稽古すること。良くも悪くも今の私の一人稽古の内容です。
posted by ロン at 21:50| 日記
2022年11月08日
全体を使う
会員さんはまだ身体全体を使うことが出来ていないように思います。
それはこれまでの人生(日常生活)で身体を部分的に使う癖がついてしまっているからです。
身体を部分的に使って生活していると、身体のバランスが崩れてしまい、いろいろ障害がおきてしまうこともあります(首、肩の凝り、背中の張り、腰痛、ひざ痛等)。
私は職業柄でしょうか、道行く人の姿を何気なく見る癖があるようなのですが、その動きがギクシャクして滑らかさを欠き、不自然なロボットのような歩き方をしている方をよく見かけます。明らかに身体を部分的(バラバラ)に動かしているので、身体全体のバランスが崩れているのです。身体大丈夫かな?とかってに心配になってしまいます。
また武術においても全体のバランスが崩れた姿勢、動きは身体の本来持っている素晴らしい可能性(能力)を引き出すことは出来ません。
なので私が考案した空体道の12の型(空法と呼ぶ短い12種の動き)では部分的に身体を動かす癖を矯正し、全体を使える身体を取り戻すことも目的の一つになっています。
空法の12の型すべてに手法、体法(体幹部)、腿法、歩法、と言った全身(全体)を使う動きが取り入れてあります。どこか身体の一部分を特化して動かす型は一つもないはずです。そのことに会員さんは気づいて下さい。
空法の型自体は比較的簡単な動きで構成されていますが、上記の意味においてそれを作り上げるのはとても大変な作業だったのです。何度も試行錯誤を繰り返しました。
空体道では基本の養身法で全身の力抜く稽古を主に、そして型の空法では全身(全体)を使って動くことを主に稽古しています。また稽古を長く続けることによって、全身の力を抜く事と、全身(全体)を使うことは溶け合い一つになります。脱力が全体の動きを促し、全体の動きが脱力を促すのです。陰陽の関係です。
最後に空体道の基本は脱力(頭から足裏まで重さを通す)、型は全身(全体の協調、調和)を主として構成されています。このことを会員さんは忘れないで下さい。
それはこれまでの人生(日常生活)で身体を部分的に使う癖がついてしまっているからです。
身体を部分的に使って生活していると、身体のバランスが崩れてしまい、いろいろ障害がおきてしまうこともあります(首、肩の凝り、背中の張り、腰痛、ひざ痛等)。
私は職業柄でしょうか、道行く人の姿を何気なく見る癖があるようなのですが、その動きがギクシャクして滑らかさを欠き、不自然なロボットのような歩き方をしている方をよく見かけます。明らかに身体を部分的(バラバラ)に動かしているので、身体全体のバランスが崩れているのです。身体大丈夫かな?とかってに心配になってしまいます。
また武術においても全体のバランスが崩れた姿勢、動きは身体の本来持っている素晴らしい可能性(能力)を引き出すことは出来ません。
なので私が考案した空体道の12の型(空法と呼ぶ短い12種の動き)では部分的に身体を動かす癖を矯正し、全体を使える身体を取り戻すことも目的の一つになっています。
空法の12の型すべてに手法、体法(体幹部)、腿法、歩法、と言った全身(全体)を使う動きが取り入れてあります。どこか身体の一部分を特化して動かす型は一つもないはずです。そのことに会員さんは気づいて下さい。
空法の型自体は比較的簡単な動きで構成されていますが、上記の意味においてそれを作り上げるのはとても大変な作業だったのです。何度も試行錯誤を繰り返しました。
空体道では基本の養身法で全身の力抜く稽古を主に、そして型の空法では全身(全体)を使って動くことを主に稽古しています。また稽古を長く続けることによって、全身の力を抜く事と、全身(全体)を使うことは溶け合い一つになります。脱力が全体の動きを促し、全体の動きが脱力を促すのです。陰陽の関係です。
最後に空体道の基本は脱力(頭から足裏まで重さを通す)、型は全身(全体の協調、調和)を主として構成されています。このことを会員さんは忘れないで下さい。
posted by ロン at 21:35| 日記
2022年11月05日
目的意識を持たない
今回は肉体ではなく意識についてのお話です。
「目的意識を持たない」と言う教えは空体道において重視されます。
目的意識とは、〜してやろうと言う意識です。打ってやろう、蹴ってやろう、崩してやろう、投げてやろう・・・
このような強い目的意識は、視野を狭め、力みを生じさせ、ぎくしゃくした動きを生んでしまいがちです。
なので技をおこない時はこのような目的意識を軽減させる必要があります。意識に囚われてはいけません。
例えばですが目的意識を持たない技とはこんな感じです。打とうと思わずただ相手に触ろうとして手を伸してみる・・・崩そうとせず下に落ちている物を拾うような気持でただ手を下におろしてみる・・・投げようと思わずただ自分の身体を回してみる・・・
するとどうでしょうか、対練や組手で効かなかった技が、前より効くようになっていくはずです。
このように比較的簡単な意識の持ち方によっても身体の質を変化させることが出来ます。
そして身体の力が抜け、全身に重力(重さ)が通った身体になれば、上記のことは関係なくなり、何をやっても(何を思っても)技がかかるようになっていくのです。
そのレベルに達するまでは、会員さんは目的意識をなるべく薄ませて、対練や組手に臨んでみて下さい。
「目的意識を持たない」と言う教えは空体道において重視されます。
目的意識とは、〜してやろうと言う意識です。打ってやろう、蹴ってやろう、崩してやろう、投げてやろう・・・
このような強い目的意識は、視野を狭め、力みを生じさせ、ぎくしゃくした動きを生んでしまいがちです。
なので技をおこない時はこのような目的意識を軽減させる必要があります。意識に囚われてはいけません。
例えばですが目的意識を持たない技とはこんな感じです。打とうと思わずただ相手に触ろうとして手を伸してみる・・・崩そうとせず下に落ちている物を拾うような気持でただ手を下におろしてみる・・・投げようと思わずただ自分の身体を回してみる・・・
するとどうでしょうか、対練や組手で効かなかった技が、前より効くようになっていくはずです。
このように比較的簡単な意識の持ち方によっても身体の質を変化させることが出来ます。
そして身体の力が抜け、全身に重力(重さ)が通った身体になれば、上記のことは関係なくなり、何をやっても(何を思っても)技がかかるようになっていくのです。
そのレベルに達するまでは、会員さんは目的意識をなるべく薄ませて、対練や組手に臨んでみて下さい。
posted by ロン at 16:11| 日記