2023年01月30日

理論

会員さんには早く上達したくて練精会武術の理論をもっと詳しく知りたいと思っている人もいるかもしれませんね。

型の理論、身体操作の理論、力の出し方の理論、組手技術の理論、等々・・・私も武術を学び始めた頃はそんな細かい理論が知りたくてウズウズしてました。

でも長く武術をつづけていると(これはあくまで私の個人的な意見ですが)、武術理論は必要最低限だけ分かったら、あとは何も考える必要は無いと思っています。

練精会で言ったら、身体の力を抜くこと、これだけで十分なのです。

あとは稽古あるのみです。ひたすら稽古を続けていく中で知識(理論)を必要とせず、自然と様々な疑問が解決されていくのです。

現代は情報化社会ですので、武術に関しても様々な情報が家にいながら得られます。昔では考えられないほど便利になってはいます。

でも武術は頭ではなく身体で理解するものだと私は思っています。頭を情報(理論)でいっぱいにするより、頭を軽くして、すべて身体(稽古)にゆだねることによって、練精会武術の理解が深まっていくのです。

もちろん頭(知識、情報、理論)を軽視するわけではありませんが、身体(の可能性)に自分をゆだねて、後はただひたすらに稽古を続けることが、自身の進歩、成長、進化につながると私は思っているのです。

頭での理解を優先すると身体での理解が遅くなる・・・自戒の念を込めてこの言葉を会員さんへ送ります。
posted by ロン at 12:16| 日記

2023年01月29日

慢練と快練

空体道の十二の型(空法)には慢練と快練とがあります。

簡単に言えば、慢練はゆっくり動くこと、快練は速く動くことです。

現在、会員さんに指導している型は慢練です。それはゆっくりと型をおこなうことによって、重さを頭から足裏(重力方向)まで落とす感覚を覚えるためです。この感覚がなければ、空体道の力(威力)である重さを使えるようにはならないからです。

そしてこの慢練をひたすら続けたのちに快練によって(ある程度ですが)速く動く型も練習するようになります。この快練によって、攻防速度感覚と重さの移動感覚を身につけていくのです。慢練とは型の速さだけではなく歩法も違っています。

いずれは快練の型も指導する予定ですが、大事なのは慢練です。何度も言いますが、慢練なしに空体道の威力(重さ)を養うことは難しいからです。

その意味を理解して会員さんは慢練の型をひたすら稽古して下さいね。
posted by ロン at 13:00| 日記

2023年01月28日

融合

会員さんへ連絡です。

本当に申し訳ないと思いつつ、空法を少しだけの変更を考えています。理由は以前の空法と現在の空法を融合した型にしたほうが、重さが通った身体に進化しやすいとの思いからです。

とまあ仰々しく書きましたが、以前の空法と現在の空法を会員さんはすでに両方学んでいるので、あらたに覚える型はあまりありませんのでご安心下さい。

一部、型の名前と順番が変わっていますので、下記に名称と順番を記しておきます。

@劈手(へきしゅ) ➁勾手(こうしゅ) ➂直拳(ちょくけん) C雲手(うんしゅ) D回旋手(かいせんしゅ) E撞手(どうしゅ) F回拳(かいけん) G横手(おうしゅ) H分脚(ぶんきゃく) ➉斜身(しゃしん) J翻身(ほんしん) K円身(えんしん)

以上です。とにかくより進歩、進化をひたすら考えた上での新空法です。来週の稽古から取り入れる予定なので、楽しみにお待ちください。
posted by ロン at 15:26| 日記

2023年01月26日

質問

たまに見学者さんからこんな質問を受けることもあります。

見学者「先生の武術が力を抜くことを主にしていることが良く分かりましたが、力が抜けた身体の状態とはどのようなものなのでしょうか。よろしかったら教えて下さい」

私「う〜ん、難しい質問ですね。しいて言えば、身体と重力が調和した状態と言えると思います。重力に抗わず、また重力に負けもせず、重力と仲良く出来た状態です」

見学者「え?」

私「力が抜けた状態は数値化出来るものではありません。なので、あくまで感覚的な言葉でしか言い表せないのです。稽古すればやがて何となく分かってくるものです。まあ時間はかなりかかりますけどね」

見学者「どれくらい時間がかかるものなのでしょうか?」

私「ほんの一生でしょうか」

見学者「・・・」

この ほんの一生 を「そうか一生武術を楽しめるのか」と思うのか、または「そんなに武術を長くやっていられない」と思うのかは人それぞれ。今の会員さんは全員前者であると信じています(笑)
posted by ロン at 17:01| 日記

可能性

「身体の力を抜いて」私が教室の指導中によく使う言葉です。

この簡単、単純にも思われる可能性の高さを本当に知っている人はかなり少ないのだと思っています。もちろん私もその可能性のほんの一部を体現出来ているだけにすぎません。

しかしほんの少し体現出来るだけで、会員さんを驚かせる威力や技を示すことが可能なのです。

身体の力を抜くこと。その可能性の高さは推し量ることが出来ないくらいに巨大だと私は感じています。そしてその可能性の中に、年齢、体格、性別を超越した武術への道も含まれているとも思っています。

私的(練精会の武術)には本当に力を抜くと言うことは、非常に時間(年月)が必要になるのだと実感しています。数年でそれを体現出来ることではありません。10年、20年、30年と時間をかけながら、じっくり熟成されていくものなのです。

なので会員さんはその可能性を信じて、あせることなく、じっくり、ゆっくり、稽古を続けてほしいと思っています。



posted by ロン at 11:44| 日記