たまに見学者さんからこんな質問を受けることもあります。
見学者「先生の武術が力を抜くことを主にしていることが良く分かりましたが、力が抜けた身体の状態とはどのようなものなのでしょうか。よろしかったら教えて下さい」
私「う〜ん、難しい質問ですね。しいて言えば、身体と重力が調和した状態と言えると思います。重力に抗わず、また重力に負けもせず、重力と仲良く出来た状態です」
見学者「え?」
私「力が抜けた状態は数値化出来るものではありません。なので、あくまで感覚的な言葉でしか言い表せないのです。稽古すればやがて何となく分かってくるものです。まあ時間はかなりかかりますけどね」
見学者「どれくらい時間がかかるものなのでしょうか?」
私「ほんの一生でしょうか」
見学者「・・・」
この ほんの一生 を「そうか一生武術を楽しめるのか」と思うのか、または「そんなに武術を長くやっていられない」と思うのかは人それぞれ。今の会員さんは全員前者であると信じています(笑)
可能性
「身体の力を抜いて」私が教室の指導中によく使う言葉です。
この簡単、単純にも思われる可能性の高さを本当に知っている人はかなり少ないのだと思っています。もちろん私もその可能性のほんの一部を体現出来ているだけにすぎません。
しかしほんの少し体現出来るだけで、会員さんを驚かせる威力や技を示すことが可能なのです。
身体の力を抜くこと。その可能性の高さは推し量ることが出来ないくらいに巨大だと私は感じています。そしてその可能性の中に、年齢、体格、性別を超越した武術への道も含まれているとも思っています。
私的(練精会の武術)には本当に力を抜くと言うことは、非常に時間(年月)が必要になるのだと実感しています。数年でそれを体現出来ることではありません。10年、20年、30年と時間をかけながら、じっくり熟成されていくものなのです。
なので会員さんはその可能性を信じて、あせることなく、じっくり、ゆっくり、稽古を続けてほしいと思っています。
この簡単、単純にも思われる可能性の高さを本当に知っている人はかなり少ないのだと思っています。もちろん私もその可能性のほんの一部を体現出来ているだけにすぎません。
しかしほんの少し体現出来るだけで、会員さんを驚かせる威力や技を示すことが可能なのです。
身体の力を抜くこと。その可能性の高さは推し量ることが出来ないくらいに巨大だと私は感じています。そしてその可能性の中に、年齢、体格、性別を超越した武術への道も含まれているとも思っています。
私的(練精会の武術)には本当に力を抜くと言うことは、非常に時間(年月)が必要になるのだと実感しています。数年でそれを体現出来ることではありません。10年、20年、30年と時間をかけながら、じっくり熟成されていくものなのです。
なので会員さんはその可能性を信じて、あせることなく、じっくり、ゆっくり、稽古を続けてほしいと思っています。
posted by ロン at 11:44| 日記