会員さんへ立禅の時の気持ちの持ち方へのアドバイスです。
「自分が立っているのではなく、重力に立たせてもらっている」と思うことです。
能動的に自分が立っていると言う思いでは中々力は抜けてくれません。だから受動的に重力によって立たせてもらっていると思えば、身体も気持ちも楽になり力が抜けやすくなると思います。
またこのようにつねに重力へ意識をむけて稽古を続けていけば、いつかは全身に重力が通る日が訪れることでしょう。
2023年02月19日
打撃の威力
今回は打撃の威力に関するお話です。
相手に強力な打撃を与えるための大事な要素として、打撃の反動をどう抑えるのかがあります。
打撃の反動で肩が後ろにずれたり、腰が歪んだり、足が変形したりすると、威力は十分に相手に伝わりません。
この打撃の反動を抑える工夫が各流儀にあると思います。例えば、身体を締める、各関節の固定、全身の剛体化等々・・・
練精会の場合の工夫はただ一つだけ。ただ脱力を高める続けることです。
本当の意味で脱力が高まると、身体は一つにまとまり、統一化されます。その状態は空気がパンパンに入ったボールのようなものです。そうなれば全身の均一化した重さの圧力が反動をすべて跳ね返してしまい、威力をすべて相手に伝えることが可能になるのです。
ただし何度も書いていることですが、そんな身体の質を手にするには長い年月の地味な稽古(立つ稽古、ゆっくり動く稽古)が必要になります。
私もまだまだ不十分です。なのでこれからも精進、精進です。
相手に強力な打撃を与えるための大事な要素として、打撃の反動をどう抑えるのかがあります。
打撃の反動で肩が後ろにずれたり、腰が歪んだり、足が変形したりすると、威力は十分に相手に伝わりません。
この打撃の反動を抑える工夫が各流儀にあると思います。例えば、身体を締める、各関節の固定、全身の剛体化等々・・・
練精会の場合の工夫はただ一つだけ。ただ脱力を高める続けることです。
本当の意味で脱力が高まると、身体は一つにまとまり、統一化されます。その状態は空気がパンパンに入ったボールのようなものです。そうなれば全身の均一化した重さの圧力が反動をすべて跳ね返してしまい、威力をすべて相手に伝えることが可能になるのです。
ただし何度も書いていることですが、そんな身体の質を手にするには長い年月の地味な稽古(立つ稽古、ゆっくり動く稽古)が必要になります。
私もまだまだ不十分です。なのでこれからも精進、精進です。
posted by ロン at 14:04| 日記
2023年02月17日
なんとなく
練精会の稽古は、なんとなく感覚が良いと思っています。
稽古においても、基本で力を抜かなければいけない、型で重さを落とさなければいけない、対練で技を決めなければいけない、組手で相手に負けてはいけない・・・そんな固い気持ちを持ってしまっては、身体の力を抜くどころか、よけいに力んでしまいます。
だから良い意味で、なんとなくなのです。なんとなく基本、なんとなく型、なんとなく対練、なんとなく組手、こんな楽な気持ちで稽古にのぞんだ方が練精会の武術はうまくいくと思っています。
やらなければ・・・の気持ちは集中。なんとなく・・・の気持ちは拡散。練精会の気持ちは集中ではなく拡散が良いのです。
なので会員さんは、なんとなくの気持ちで稽古に来てくださいね(笑)
稽古においても、基本で力を抜かなければいけない、型で重さを落とさなければいけない、対練で技を決めなければいけない、組手で相手に負けてはいけない・・・そんな固い気持ちを持ってしまっては、身体の力を抜くどころか、よけいに力んでしまいます。
だから良い意味で、なんとなくなのです。なんとなく基本、なんとなく型、なんとなく対練、なんとなく組手、こんな楽な気持ちで稽古にのぞんだ方が練精会の武術はうまくいくと思っています。
やらなければ・・・の気持ちは集中。なんとなく・・・の気持ちは拡散。練精会の気持ちは集中ではなく拡散が良いのです。
なので会員さんは、なんとなくの気持ちで稽古に来てくださいね(笑)
posted by ロン at 22:32| 日記
2023年02月16日
元に戻る
「まずは身体の力を抜いて」武術を始めた時に最初に言われるのがこの一言が多いのではないでしょうか。
私の場合、練精会を発足してからも様々な身体操作、身体意識を研究、探求をひたすら続けてきました。そして最後にたどり着いたのが最初に聞いた「まずは身体の力を抜いて」なのでした。
答えは最初からあったのです。武術の道を歩み続けていたらいつの間にか元の位置に戻っていたのです。
これはあくまで私の辿った道ですから、他にも様々な道があり、様々な答えが存在すると思います。ただ私の答えは良いも悪いも、ただ身体の力を抜く、だった訳です。
ただし力を抜くと言っても、ある程度とか、ほどほどにとか、少しだけとかではありません。全身の力を徹底的に、徹底的に、さらに徹底的に抜き続けるのです。一体どこまで・・・全身に重さが通るまで、全身が重力と調和するまで。
私はそこに至るまで遠回りしましたが、会員さんには最短でそこへ至れるように空体道、円転太極拳を体系づけたつもりです。もちろん私もまだまだ未熟。これからも私と一緒に練精会の道を歩み続けましょう。
私の場合、練精会を発足してからも様々な身体操作、身体意識を研究、探求をひたすら続けてきました。そして最後にたどり着いたのが最初に聞いた「まずは身体の力を抜いて」なのでした。
答えは最初からあったのです。武術の道を歩み続けていたらいつの間にか元の位置に戻っていたのです。
これはあくまで私の辿った道ですから、他にも様々な道があり、様々な答えが存在すると思います。ただ私の答えは良いも悪いも、ただ身体の力を抜く、だった訳です。
ただし力を抜くと言っても、ある程度とか、ほどほどにとか、少しだけとかではありません。全身の力を徹底的に、徹底的に、さらに徹底的に抜き続けるのです。一体どこまで・・・全身に重さが通るまで、全身が重力と調和するまで。
私はそこに至るまで遠回りしましたが、会員さんには最短でそこへ至れるように空体道、円転太極拳を体系づけたつもりです。もちろん私もまだまだ未熟。これからも私と一緒に練精会の道を歩み続けましょう。
posted by ロン at 10:14| 日記
2023年02月12日
内面の質
武術を本格的に学び始めて30年強。
この頃よく感じるのは、身体内面の質の変化です。
この歳になって最強とか最高とかそんなことはまったく思いませんが、少なくとも身体の質に関しては若い頃の自分に比べても格段に進歩しているのは間違いないと思います。
タイムマシンに乗って組手大会に出たり他流儀と交流組手を繰り返していた頃のバリバリ武闘派の自分にこの内面の力(重さ)を示したら、さぞやびっくりするとことでしょう。それくらい昔とは内面の質が違うのです。
脱力に特化した稽古によって私の内面に重力(重さ)が(まだ少しだけですが)通ってきているからです。
武術は本当に素晴らしいものです。63歳になっても妄想や幻想ではなくたしかに向上、成長することが可能なのですから。
しかし組手全盛期の自分と組手したらどうなるのかは分かりません。質が劣っても若さによる強さと言うものは侮れないからです。でもそんなことはどうでも良いと思えるのです。
これからも内面の質を磨いていき、その成果を会員へ伝えていく。これに勝る楽しみはありません。
願わくば80歳ぐらいになった時、タイムマシンで過去に戻り63歳の今の自分に内面の質を伝え、びっくりさせられるほどになっていたいものです。
この頃よく感じるのは、身体内面の質の変化です。
この歳になって最強とか最高とかそんなことはまったく思いませんが、少なくとも身体の質に関しては若い頃の自分に比べても格段に進歩しているのは間違いないと思います。
タイムマシンに乗って組手大会に出たり他流儀と交流組手を繰り返していた頃のバリバリ武闘派の自分にこの内面の力(重さ)を示したら、さぞやびっくりするとことでしょう。それくらい昔とは内面の質が違うのです。
脱力に特化した稽古によって私の内面に重力(重さ)が(まだ少しだけですが)通ってきているからです。
武術は本当に素晴らしいものです。63歳になっても妄想や幻想ではなくたしかに向上、成長することが可能なのですから。
しかし組手全盛期の自分と組手したらどうなるのかは分かりません。質が劣っても若さによる強さと言うものは侮れないからです。でもそんなことはどうでも良いと思えるのです。
これからも内面の質を磨いていき、その成果を会員へ伝えていく。これに勝る楽しみはありません。
願わくば80歳ぐらいになった時、タイムマシンで過去に戻り63歳の今の自分に内面の質を伝え、びっくりさせられるほどになっていたいものです。
posted by ロン at 12:42| 日記