2023年09月29日

あれっ?

会員さんの腕に私が手を触れて崩し技をおこなう時、こう感想を述べる方もいます。

「接触点はとても柔らかいのにとんでもない力がくる。先生のどこからそんな強力な力がくるのか分からないまま崩されてしまう」

普通、私たちは相手に接触されると、そこからくる力を無意識に予測し、その予測にそって抵抗を準備します。その予測と言うのは一般的な筋力による力を予想するわけです。

しかし私の力は筋力と言うより重さなのです。その時点で会員さんの抵抗する予測と異なっているのです。

会員さんの予測・・・接触点からぐっと力がきて、力強く押し込んでくるはず。

実際の私の力・・・接触点は柔らかいまま、突然岩のような重さが伝わってくる。そして重さが伝わってきても、接触点は柔らかいまま。

そうなのです。私の力(重さ)は会員さんの予測と異なっているため、会員さんの頭が混乱してしまい、抵抗が一瞬遅れてしまうのです。

なので会員さんの反応は「力が来た。よし抵抗」ではなく「あれっ?何これ。抵抗できない」になるのです。

物理的な強大な重さの力にプラスして、上記のように相手の意識と言うか、脳を騙すことも相手を崩すことに貢献している訳なのです。
posted by ロン at 12:31| 日記

2023年09月27日

気にしない

会員さんが崩しや投げの対練で上手くいかないのは、相手の抵抗を気にするからです。

抵抗を気にすれば、それは身体の力み、緊張に直結し、自分より大きい相手や、自分より筋力が上な相手を崩すことも、投げることも出来ないのです。

ではどうすればよいのか?・・・何というか身もふたもない答えですが、相手の抵抗を気にしなければよいのです。

え〜っ!それじゃあ、答えになっていませんよ!と会員さんの声が聞こえて来るようですが、ほんと気にしなければよいのです。これにつきます。

稽古を長年続けているうちに自然に相手の抵抗が気にならなくなっていくものです。練精会はそんな武術体系になっているのですから。

抵抗が気にならなくなった時、相手は本気で抵抗しているの?と思うくらい簡単に崩したり、投げたり出来るようになります。相手がマネキン人形のように感じられて、技が何でもかかりそうな感じがするものです。

ただいきなり抵抗を気にしないようになることは不可能ですので、抵抗する相手は最初はほどほどに抵抗してあげましょう。そして相手の気にしないレベルの上達に合わせて抵抗力を増していき、最後は全力で抵抗する感じがよいでしょう。

アニメの一休さん(古すぎる)ではないですが、気にしない、気にしない、ですよ。

posted by ロン at 17:58| 日記

2023年09月23日

功夫

現代は情報化が進んでいますので、昔と違って武術に関する様々な情報が手軽に手に入ります。

その中ではワンポイント的な身体操作法によって身体の感覚を変える方法も沢山示されています。

武術を志すものにとって便利な世の中になったと思います。

でも私は思うのです。どんな素晴らしい情報であっても、短期間で身に付くものはありません。情報に惑わされて武術は簡単なものだと会員さんは誤解してはいけません。

功夫(カンフー)と言う言葉は割と有名ですね。意味の一つは、「稽古に費やした(長い)時間によって得られたもの」です。

インスタント的なものを求めず、何年も、十何年も、何十年も地味な稽古を続ける中で養われた身体、身体の質。私はこの功夫を大切にしたいのです。

練精会武術で言えば功夫は身体の力を抜き、全身に重さ(重力)を通すことによってのみ得られます。もちろん長い時間はかかりますが、その習得に年齢、体格、性別はあまり関係はありません。継続する意志だけあればよいのです。

もちろん大会や試合を目指すのであれば、また別の道(効率がよい素晴らしい別の方法)があると思いますが、練精会はあくまで功夫の長い道を歩もうと思っています。なので会員さんはすぐの結果を求めず、長い先に目を向けて稽古にのぞんで下さい。


posted by ロン at 15:13| 日記

2023年09月18日

集約

今回、空体道の12の短い型(単式)の空法を何故最終的に改変したのか、そのお話です。

私は空体道の言う武術を12の短い動きに集約化したかったのです。この理想に向けて型の試行錯誤を何度も何度も繰り返してきた訳です。その間、集約化を図れる型の創造が上手くいかなかったので、型とは別に歩行法や打撃法、養身法と言った個々の稽古法が必要だった訳です。

もちろん型と別に個々の稽古法があっても良いのです。それでまったく問題はないと思っていまし、その方が効率的なのかも知れません。

ただ私の個人的な考えとして、高齢になっても稽古を続けられて、しかも高齢になっても進歩、進化を楽に図れるためには相手との相対稽古を除いた稽古法はなるべく型に集約出来れば良いかな、との思いがあっただけです。

そしてやっと歩行法、打撃法、養身法、(もちろん戦闘法も)すべてを網羅した12の型が完成しました。

それが新空法・・・撞手(どうしゅ)劈手(へきしゅ)鑽手(さんしゅ)鞭手(べんしゅ)直拳(ちょくけん)馬拳(ばけん)炮手(ほうしゅ)横手(おうしゅ)鷹爪(ようそう)雲手(うんしゅ)翻身(ほんしん)旋身(せんしん)・・・です。

なので今後の空体道の相対稽古以外の体系は、脱力法(腕振り、脚振り、腰伸ばし、体揺すり、対振り)、立禅法(抱式、三体式)、そして12の型の空法だけとなります。今までの養身法、歩行法、打撃法は必要ではなくなりました。

稽古体系を集約して、さらに効果が上がる。それが実現できたように私は思っています。新しい空法、毎回時間をかけてじっくり伝えていきますので、お楽しみに。
posted by ロン at 14:33| 日記

サンドバック

昔、武術を学び始める前、20代前半の頃、体育館の格技室にサンドバックがあったので、自己流ですがひたすらサンドバック打ちを練習していた時期がありました。

週に3回ぐらい、時間は1時間から2時間。とにかくひたすらサンドバックを打ち続けました。その成果なのか格技室で知り合いになった空手道を修行されている何人かの方とフルコンタクトルールでの組手を経験しましたが、突きの威力をほめられたことがあります。

そして武術を学び始めてからはサンドバック打ちは控えるようになりました。がむしゃらに打っては肩の力が抜けにくくなるのが理由でした。

それから何十年も過ぎて、今ではたまにですが稽古前にサンドバックを軽く打つことがあります。

で、今回は昔と今とのサンドバック打ちの意識の違いについて説明したいと思います。

昔はサンドバックを打つ場所(相手の顔とか腹とか想定して)に意識を向けていました。また自分へは打ちだす腕、拳を意識していました。

そして今はサンドバックの全体、そしてサンドバック周囲の風景(空間)に意識が向いています。また自分へは腕や拳と言った部分ではなく、全身に意識が向いているようです。

なので今はサンドバック全体、そして周りの空間を全身で突いているような感覚があります。

昔もがむしゃらですが全力で何年も打ち続けていたので、それなりに威力がありましたが、今の方が軽く楽に打っているのに、感覚的には昔の自分を間違いなく上回る威力が伝わっているのを実感します。

昔の威力はサンババックを打つ場所に拳がめり込む感覚。今はサンドバック全体が振動する感覚と言えるかもしれません。

20代の自分と60代の自分のサンドバック打ち。昨夜の太極拳教室の前に久しぶりにサンドバックを打ってそんな感想を持った次第です。

posted by ロン at 12:13| 日記