2019年01月22日

曖昧な存在

今回も妄想全開の内容です。

量子力学のことはあまり分からないのですが、この世界を素粒子レベルまで見える目で見たなら、花、石、山と言った自然の存在も、家、車、橋と言った人工の存在も、その実体がはっきりせず、それら存在と空間の区別もつきにくくなるのではないでしょうか。

自然の存在も人工の存在も、そして空間それ自体も同じ物質と言うか、同じ波と言うか、同じ振動と言うか、同じ何かによって構成されていて、違いは密度の濃淡だけ。

もしそうなら、当然ながら自分と言う存在も、自然、人工物、空間と同じもので、その境目の区別が難しく、全てが曖昧模糊としたものかも知れません。

自分のは刻々と変化して、つねに曖昧模糊とした存在なら、会員さんはその曖昧模糊の存在らしく空体道に向き合ってはいかがでしょうか。

曖昧模糊なら、力んで、ふんばって基本や型をする必要はなく、また力まかせに、強引に対練や組み手をする必要もないのです。

自分は自分で確固たる存在で、その確固たる存在のまま動くんだ、と言う無意識な思いが、自分の可能性を封じているのかも知れません。

自分と世界の区別も曖昧模糊、そう思えたならいい意味で、いい加減、適当、なんとなくの感覚で、身体の力が抜け、楽に、滑らかに、そして自然に動くことが出来るのではないでしょうか。

また自分と相手の区別も曖昧模糊なら、自分を打ち、崩し、投げるような一体感を持って、相手にやさしく接し、技を自在に繰り出すことが出来るような気がします。

未熟ながら私にはそう思えるのです。
posted by ロン at 14:27| 日記