会員さんは対練や組手で、相手に抵抗されると普段日常で使っている力で対応しようとしてしまいます。
普段の力とは重いものを持つ時、あるいは重いものを押す時等に使っている力んだ力のことです。その力は何十年の生活で染みついた力の出し方なので、稽古中にもすぐに顔を出してしまいます。
そんな力では相手が自分より小柄だとか、細いとか、高齢とかなら通用するかもしれませんが、自分と同等か同等以上の相手には通用するものではありません。
なので普段の力を武術的な力に変えなければなりません。これは稽古中だけそう意識しても意味はありません。普段の生活から普段の力ではなく武術的な力に変えていかなければならないのです。そうではないと相手が抵抗するたびに何十年も染みついた普段の力がすぐに顔を出すことになってしまうのです。
武術の良い所の一つは、日常生活から立つ方、動き方、力の出し方を根本的に変えることが出来る点です。私もまだまだ未熟ですが、ある程度は日常生活を武術的におくることが出来るので、その快適さ、素晴らしさを会員さんより深く知っているつもりです。
なので稽古を週一回、あるには二回だけのものだとは思ってはいけません。日常生活すべてにおいて、武術的にあらねばならないのです。こう書くととても大変だと会員さんは思われるかもしれませんが、それは逆なのです。武術的に普段を生きることは、何度も言いますが本当に快適で、素晴らしいものなのです。
時間はかかりますが、あきらめずに普段の力(力んだ日常生活)を武術的な力(より快適な日常生活)に変えていきましょう。
2023年07月17日
全部
身体の力み、緊張が抜けたなら、身体の全てを使えるようになります。
身体の筋肉が連動、協調して全部使える・・・身体の重さが一体となり全部使える・・・
これが脱力による恩恵だと私は思っています。
そしてさらに身体の力み、緊張が全身全てにおいて無くなるようになると、身体と重力が調和し、統一体へと進んでいきます。
力を抜くこと。言葉では簡単、また一部分の力を抜くだけなら、それもあまり難しいことではありません。
でも身体すべての力み、緊張を抜くことは本当に難しいことなのです。しかし難しい反面、得られる可能性も非常に高いものになります。
なので練精会では全部を目指します。身体全部の力を抜き、現段階での最終目標である統一体を目指していくのです。
そしてその過程として、護身術としての強さ、健康増進、精神の安定、加齢による衰えの低減等が結果として得られると私は信じています。
身体の筋肉が連動、協調して全部使える・・・身体の重さが一体となり全部使える・・・
これが脱力による恩恵だと私は思っています。
そしてさらに身体の力み、緊張が全身全てにおいて無くなるようになると、身体と重力が調和し、統一体へと進んでいきます。
力を抜くこと。言葉では簡単、また一部分の力を抜くだけなら、それもあまり難しいことではありません。
でも身体すべての力み、緊張を抜くことは本当に難しいことなのです。しかし難しい反面、得られる可能性も非常に高いものになります。
なので練精会では全部を目指します。身体全部の力を抜き、現段階での最終目標である統一体を目指していくのです。
そしてその過程として、護身術としての強さ、健康増進、精神の安定、加齢による衰えの低減等が結果として得られると私は信じています。
posted by ロン at 14:09| 日記
2023年07月14日
棒立ちの姿勢
私は対練でも組手でも、足幅を広く構えることはしません。また打撃技や投げ技の繰り出す時も、腰を大きくま回したりするような反動を使うこともあまりありません。基本、肩幅ぐらいで立ち、腰も落とすことなく、棒立ちに近い姿勢のまま立ち、動きます。
この私の姿勢を見て会員さんは「あんな棒立ちの姿勢から強力な技を繰り出せるのだから、さぞや余裕があるのだろうな」と思うかもしれません。でもそれは違うのです。
余裕があるから棒立ちのに近い姿勢でいるのではなく、棒立ちに近い姿勢だからこそ、強力な、強大な威力を発することが出来るからなのです。
それが立つ力の素晴らしいところなのです。棒立ちの姿勢は重力方向(鉛直線)と調和しやすい姿勢です。なので棒立ちの姿勢は重力の力(重さ)を効率よく発揮できる姿勢でもあるのです。
もちろん身体の力が抜けていなければ、棒立ちの姿勢は不安定で、大きな威力を生み出すことは出来ませんが、脱力が進むと真逆の結果を生み出すことが出来るのです。
そんな立つ力を身につけるためには立禅と歩行法が大基本です。そのことを会員さんは忘れないで下さい。
この私の姿勢を見て会員さんは「あんな棒立ちの姿勢から強力な技を繰り出せるのだから、さぞや余裕があるのだろうな」と思うかもしれません。でもそれは違うのです。
余裕があるから棒立ちのに近い姿勢でいるのではなく、棒立ちに近い姿勢だからこそ、強力な、強大な威力を発することが出来るからなのです。
それが立つ力の素晴らしいところなのです。棒立ちの姿勢は重力方向(鉛直線)と調和しやすい姿勢です。なので棒立ちの姿勢は重力の力(重さ)を効率よく発揮できる姿勢でもあるのです。
もちろん身体の力が抜けていなければ、棒立ちの姿勢は不安定で、大きな威力を生み出すことは出来ませんが、脱力が進むと真逆の結果を生み出すことが出来るのです。
そんな立つ力を身につけるためには立禅と歩行法が大基本です。そのことを会員さんは忘れないで下さい。
posted by ロン at 13:15| 日記
2023年07月10日
意志
練精会のような力を抜くことを主体とした武術において、脱力の身体になるためには本当に長い時間が必要になります。
基本で抜けていても、型では抜けていない・・・型で抜けていても、対練では抜けていない・・・対練で抜けていても、組手では抜けていない・・・このように長い長い時間が必要なのです。でもまだまだ脱力への道には先があるのです。
同門ではなく、他流儀の武道、武術、格闘技の方々と組手、スパーリングをしても力が抜けていなければならない・・・さらには路上で突然襲われても力が抜けていなくてはならない・・・
結論として24時間すべてにおいて力が抜けていないと、練精会では脱力が身に付いたとは言えないのです。かくいう私もまだまだ未熟な段階です。
上記のような脱力を達成するためには、練精会では体格、身体能力、筋力、若さ等は必要ではありません。本当に必要なのは意志です。
何が何でも脱力の身体、重さが通った身体、重力を調和した身体になる、と言った確固とした意志だけが必要だと私は思っています。
基本で上手くいかなくても、型で上手くいかなくても、対練で上手くいかなくても、組手で上手くいかなくても、確固とした意志さえあれば、長い時間がかかるとは思いますが、いつかかならず身体の力が抜ける日が訪れます。
なので会員の皆さんは、その意志だけは忘れないで下さい。よく言われることではありますが、意志(思い)はいつか実現するのですから。
基本で抜けていても、型では抜けていない・・・型で抜けていても、対練では抜けていない・・・対練で抜けていても、組手では抜けていない・・・このように長い長い時間が必要なのです。でもまだまだ脱力への道には先があるのです。
同門ではなく、他流儀の武道、武術、格闘技の方々と組手、スパーリングをしても力が抜けていなければならない・・・さらには路上で突然襲われても力が抜けていなくてはならない・・・
結論として24時間すべてにおいて力が抜けていないと、練精会では脱力が身に付いたとは言えないのです。かくいう私もまだまだ未熟な段階です。
上記のような脱力を達成するためには、練精会では体格、身体能力、筋力、若さ等は必要ではありません。本当に必要なのは意志です。
何が何でも脱力の身体、重さが通った身体、重力を調和した身体になる、と言った確固とした意志だけが必要だと私は思っています。
基本で上手くいかなくても、型で上手くいかなくても、対練で上手くいかなくても、組手で上手くいかなくても、確固とした意志さえあれば、長い時間がかかるとは思いますが、いつかかならず身体の力が抜ける日が訪れます。
なので会員の皆さんは、その意志だけは忘れないで下さい。よく言われることではありますが、意志(思い)はいつか実現するのですから。
posted by ロン at 14:29| 日記
2023年07月07日
可能性の高さ
練精会の会員の皆さんは、自分の身体に秘められた可能性の高さをまだ知りません。
黒帯会員さんはほんのほんの少しだけ、自身の身体の可能性に気づいた段階でしょうか。
かくいう私もその可能性の高さの全てを知る段階ではありません。多少会員さんの先を進んでいるだけです。
身体の可能性を知れば、年齢、体格、性別にかかわりなく、自分が思っている何倍もの力(練精会では重さ)で、打撃することができ、同じく何倍もの力で崩すことも、投げることも可能になります。
その証拠はまだまだ未熟ですが私です。今年で64歳になりますが、打撃、崩し、投げの威力は間違いなく過去最高だからです。そしてまだまた進歩、向上することが出来ることも確信しています。
練精会ではその可能性を脱力、全身の力を抜くことから引き出すことを選択しています。私が稽古でいろいろな例えを通して会員さんに伝えていることはただ一つ。力を抜くこと。ただそれだけなのです。
ここしばらく指導している腰を緩める、腰を溶かす、腰を下へずり落とすことも本当に力が抜けたら必要なくなることではありますが、まだ力の抜けが甘い会員さんには大切な教えとなります。なぜならその先に丹田の膨張感覚が待っているからです。
私も会員さんと同じく早くもっと身体の可能性の高さを知りたいと言う気持ちは同じです。でもローマは一日にして成らずです。一歩一歩淡々と稽古を続けるしか道はありません。
ならばそのための稽古をのんびり楽しみながら、私と一緒に可能性への長い道を歩み続けましょう。
黒帯会員さんはほんのほんの少しだけ、自身の身体の可能性に気づいた段階でしょうか。
かくいう私もその可能性の高さの全てを知る段階ではありません。多少会員さんの先を進んでいるだけです。
身体の可能性を知れば、年齢、体格、性別にかかわりなく、自分が思っている何倍もの力(練精会では重さ)で、打撃することができ、同じく何倍もの力で崩すことも、投げることも可能になります。
その証拠はまだまだ未熟ですが私です。今年で64歳になりますが、打撃、崩し、投げの威力は間違いなく過去最高だからです。そしてまだまた進歩、向上することが出来ることも確信しています。
練精会ではその可能性を脱力、全身の力を抜くことから引き出すことを選択しています。私が稽古でいろいろな例えを通して会員さんに伝えていることはただ一つ。力を抜くこと。ただそれだけなのです。
ここしばらく指導している腰を緩める、腰を溶かす、腰を下へずり落とすことも本当に力が抜けたら必要なくなることではありますが、まだ力の抜けが甘い会員さんには大切な教えとなります。なぜならその先に丹田の膨張感覚が待っているからです。
私も会員さんと同じく早くもっと身体の可能性の高さを知りたいと言う気持ちは同じです。でもローマは一日にして成らずです。一歩一歩淡々と稽古を続けるしか道はありません。
ならばそのための稽古をのんびり楽しみながら、私と一緒に可能性への長い道を歩み続けましょう。
posted by ロン at 17:00| 日記