2019年01月10日

相手は半透明

空体道の稽古で、相手の存在に囚われると良い結果にはならないと思っています。

もっと強く打たないと効かないかも、もっと勢いをつけて打たないと倒れないかも、もっと激しく打たないと反撃されるかも・・・もっと力を込めて投げないと投げられないかも、もっとふんばって投げないと投げられないかも、もっと相手を振り回さないと投げられないかも・・・

こんな風に相手の存在に囚われて技を繰り出しても、打撃はかわされ、防御され、そして反撃されるでしょう。また投げは堪えられ、すかされ、そして反撃されるでしょう。

会員さんは対練にしても組み手にしても相手の存在を過剰に感じすぎていると思います。そこで相手は半透明の存在だと思ってみてはいかがでしょうか。

相手の存在は分かるが、身体が半透明で、身体を透かして後ろの壁が少し見えるような感じ。

半透明の相手に突きを出しても、突きは相手の身体を通り抜けてしまう。相手に触れることは出来るが、投げようとして技を繰り出すと、やはり自分の腕や腰、脚が相手の体を素通りしてしまう。

そんな存在をイメージするのです。突きや投げが素通りしてしまう相手に、強く打とうとか、力を入れて投げようとは思わないですよね。どんな攻撃も素通りしてしまうのですから、やるだけ無駄ですよね。頑張れば頑張るほど徒労に終わってしまいます。

そして、どうせ無駄なんでしょ、と思いながら、相手に打撃や投げを試みてください。その動きは、相手にまったく囚われていないので、型で培った通りの力の抜けた、バランスの整った、柔らかい、スムーズな動きになっているはずです。

そうすれば今まで当たらなかった打撃が当たり、今まで投げられなかった投げが、自分でも信じられないくらい軽やかに決まるでしょう。

あくまで理想論として書いていますので、そのようなイメージを持てていても、実力差があれば、そう簡単にいかない場合が多いのも事実です。

しかし相手の存在に過剰に反応して、相手に囚われることがなくなれば、自分の身体の可能性の存在(身体本来の能力)に気付くことが出来るだけでも十分な進歩です。

相手に囚われやすい会員さんは是非試してみて下さい。




posted by ロン at 13:32| 日記

2019年01月09日

心のありよう

心のありようによって、身体の質が変わり、動きの質が変わり、技の質が変わります。

そのことに気付かされたのは合気道の稽古の時でした。私は一年半という短い期間でしたが、先生つながりの縁で、同時期に三人の違う会の先生に合気道を学ぶことが出来たのです。合気道とても素晴らしく、勉強になりました。

そしてある先生の合気道の練習中にそれはおきました。その先生の稽古は技が効かなかったら投げられなくてもいいよ、という雰囲気があり、生徒同士だとお互いの技が効かないことがよくありました(もちろん先生は別格です)

その時の私の相手だった人はとても耐久力があり、私の技はまったく効きません。

(この方にはいつも技が効かないなー。自分が未熟だからしょうがない。無理、無理。あきらめよう)と開き直って、適当と言うか、いい加減に技をやったら、今までびくともしなかった先輩が、目の前で宙に舞い、一回転して投げられたのです。

(ああ、先輩は気を使って技は効いていないのに投げられてくれたんだな。ありがたい。しかし派手な受身だなー)と思っていると、「今の技、どうやったの?まったく抵抗できなかった。すごいよ。もう一回やってみて」と驚いたように言われたのです。

「?」どうやってと言われても、あきらめて適当に、そしていい加減にやったから、何も覚えていません。その後、何度もやってみましたが、先輩にはまったく技はかかりませんでした。

「どうしたの。さっきはどう投げられたのか分からなかったぐらいすごかったのに」

「はあ・・・」その時はなぜ技が急に効いたのかまったく分かりませんでした。10年以上前の出来事です。

今は少しは分かるようになってきました。

あの時、どうせ技は効かない、と思っていたので、相手を投げよう、技をかけよう、と言う気持ちがまったくなかったようです。

相手にも集中していない、自分の動きにも集中していない、技にも集中していない状態です。それはある意味、心に何もない状態だったのです・・・

心の負担がなくなると、身体はいきいき、のびのびとその能力を発揮することが出来るようです。逆に言えば普段、私たちは心に負担をかけていて、身体の能力を抑えてしまっているのではないでしょうか。

練精会の会員さんは、対練、組み手の時に心に負担をかけていませんか?やってやろうとか、やられたくなくと言う思いは心の負担です。

出来ても出来なくてもどちらでもよいのです。結果にこだわらず、一人で身体を動かすことの楽しさ(基本、型)、二人で身体を動かすことの楽しさ(対練、組み手)をただ感じてほしいのです。

楽しくそして気持ちよく身体を動かすことにいつも心が向いていたら、結果はそのうち自然についてくると思っています。

あせらず、のんびり、そして楽しく、です。
posted by ロン at 09:21| 日記

2019年01月08日

動と言う文字は、重と力から出来ています。

私は個人的に動は重(重力)と力(筋力)から出来ていて、重力と筋力の調和が動きを生み出すと解釈しています。

さらに個人的には重さが主として、その重さの働きを妨げないように筋力が補助的に働くことが、よりよい動きにつながると信じています。

重さが主エネルギーであり、そのエネルギーに必要最低限の筋力が方向性を与える。重力と身体との調和。この思想の元に空体道は生まれました。

空体道、まだまだよちよち歩きの子供ですが、会員さんはその成長をあたたかく見守ってくれたら嬉しいです。
posted by ロン at 07:43| 日記

2019年01月06日

新年新動画

新年の新動画です。

空体道の用法の一例です。

https://www.youtube.com/watch?v=k4dHqVZfJH8&feature=youtu.be

会員さんは参考にして下さい。
posted by ロン at 23:50| 日記

2019年01月01日

ひとつに

皆様、明けましておめでとうございます。

年末年始に風邪をひく習慣があるらしく、今年もひいてしまいました。おかげで外出することも出来ず、家でのんびりです。

することもないので、レコーダーに入っている私の映像をまとめる作業をしました(古いレコーダーなのでいつ壊れるか分からないので)私の型、そして用法、組み手の映像をそれぞれDVDに編集して入れました。これで保存はバッチリです。

久しぶりに自分の映像を見ると、足りない点がはっきりしてきました。

身体がひとつになり、全身の重さが一つになる・・・・ここがまだまだ足りません。身体がひとつになるとは、頭の動き、手(腕)の動き、足(脚)の動き、体幹部の動きが強調、連動していること。重さが一つになるとは、身体の中の重さの密度がすべて均一になっていること・・・

今年で60歳になります。ひとつになることに近づくことが出来れば、これからも進歩、進化の可能性が拓けてくると思っています。

と、まあ気持ちは前向きなのですが、まだ風邪が抜け切らないので、今は養生、養生ですね。
posted by ロン at 22:51| 日記