脱力の稽古を長年続けていると、自分を助けてくれる存在に気づきます。
それは重力です。重力の助けで立ち、重力の助けて動き、重力の助けで戦えるようになるのです。
会員の皆さんはまだまだ脱力が不十分なので、重力が助けに来てくれないのです。
自分だけで立ち、自分だけで動き、自分だけで戦う・・・若い時はそれでも大丈夫だと思いますが、歳を取れば取るほど自分だけと言うのは色々大変なのです。会員さんもそんなに若くはないのですから、その辺は実感として認識されていますよね。
だからもっともっと力を抜いて、重力に助けてもらえる身体にならなければいけません。
私が対練で上手くいかない会員さんの補助をしているのは、まだ助けに来てくれない重力の代わりをしているのです。私が補助をいれると、身体に何の負荷もなく抵抗する相手を崩したり投げたり出来ますよね。あれが本来の重力の助けだと思って下さい。
力が抜ければ抜けるほど、重力の助けはより大きく強くなってくれます。会員さんはそれを信じて今以上に脱力に励んで下さい。
2025年03月27日
夢の中の自分
たまに同じ内容の武術の夢を見ます。
こんな夢です。夢の中で空体道の型をおこなっている自分がいて、そしてそれを見ているもう1人の自分がいます。
どうも型をおこなっている自分は未来の自分で、見ている自分は現在の自分のようです。そして現在の自分はこう思っています。
「う〜ん、脱力があそこまで進むと、あのような型の動きになるのだな。全身の重さはつねに足裏まで落ちていて、どんな型(動き)をしようとまったく変わることがない。本当にすごい。あの身体の質で打たれたら、とんでもないことになるし、ある質で投げられたら抵抗のての字も出来ずにふっとばされてしまうな。いや、ただただすごい、それしか言えない・・・」
ちなみに型をおこなっているもの自分なので、見ている自分にも未来の自分の身体の内面の質がはっきりと伝わっているのです。
ここで目が覚めます。で、さっそく型をやってみるのですが、全然です。夢の自分には足元にも及ばない身体の質(脱力)のレベルです。
今の私は練精会の代表なので師はいません。なので夢の中の未来の自分が師となって、あるべき脱力の姿(質)を指示してくれているのかもしれませんね。
どちらにしても未来の自分に追いつくために、稽古、稽古、稽古です。
こんな夢です。夢の中で空体道の型をおこなっている自分がいて、そしてそれを見ているもう1人の自分がいます。
どうも型をおこなっている自分は未来の自分で、見ている自分は現在の自分のようです。そして現在の自分はこう思っています。
「う〜ん、脱力があそこまで進むと、あのような型の動きになるのだな。全身の重さはつねに足裏まで落ちていて、どんな型(動き)をしようとまったく変わることがない。本当にすごい。あの身体の質で打たれたら、とんでもないことになるし、ある質で投げられたら抵抗のての字も出来ずにふっとばされてしまうな。いや、ただただすごい、それしか言えない・・・」
ちなみに型をおこなっているもの自分なので、見ている自分にも未来の自分の身体の内面の質がはっきりと伝わっているのです。
ここで目が覚めます。で、さっそく型をやってみるのですが、全然です。夢の自分には足元にも及ばない身体の質(脱力)のレベルです。
今の私は練精会の代表なので師はいません。なので夢の中の未来の自分が師となって、あるべき脱力の姿(質)を指示してくれているのかもしれませんね。
どちらにしても未来の自分に追いつくために、稽古、稽古、稽古です。
posted by ロン at 07:19| 日記
2025年03月25日
足りなさ
65歳になって以前より立てるようになってきたと思っています。
正確に言うと、以前より武術的に立てるようになってきたのです。
重さが頭から足裏までちゃんと落ちて、全身に少しは重力が通ってきた感覚があります。この感覚をもってより立てるようになってきたと自認しています。
そしてこうも思っています。本当に人の身体の可能性は素晴らしく面白いものだと。若い方の筋力によるパワーとは違う、重力のパワーによって高齢になっても妄想ではなく、現実としてまちがいなく向上、進歩、進化出来るのですから。
でもいまだ未熟なのも自覚しています。まだまだ脱力が足りない・・・まだまだ重力を通す必要がある・・・その足りなさが稽古のモチベーションにもなっています。
まあ、一生足りないのでしょうが、その足りないことこそが可能性の高さです。稽古、稽古、そして稽古あるのみですね。
正確に言うと、以前より武術的に立てるようになってきたのです。
重さが頭から足裏までちゃんと落ちて、全身に少しは重力が通ってきた感覚があります。この感覚をもってより立てるようになってきたと自認しています。
そしてこうも思っています。本当に人の身体の可能性は素晴らしく面白いものだと。若い方の筋力によるパワーとは違う、重力のパワーによって高齢になっても妄想ではなく、現実としてまちがいなく向上、進歩、進化出来るのですから。
でもいまだ未熟なのも自覚しています。まだまだ脱力が足りない・・・まだまだ重力を通す必要がある・・・その足りなさが稽古のモチベーションにもなっています。
まあ、一生足りないのでしょうが、その足りないことこそが可能性の高さです。稽古、稽古、そして稽古あるのみですね。
posted by ロン at 08:35| 日記
2025年03月20日
2025年03月17日
立禅
過去に何度か練精会の立禅について書いていますが、会員さんからの質問もありますので、今回も立禅についてお話ししたいと思います。
練精会の立禅の最大の目的は、全身に重力(重さ)を通すことです。
身体に重力が通ったなら重さを自在に使いこなすことが可能になります。力を入れていないのに身体は山のように安定し、また力を入れていないのに滑らかで淀みない動きが出来、そして力を入れていないのに強大な威力を生み出すことが可能になるのです。
では、重力を通すための立禅の要訣とは・・・身体の力を抜くことだけ意識してただ立ち続けるだけです。他に何もありません。
後は年月(時間)が解決してくれます。年月をかけて立禅に取り組んでいれば、いつか自然に重力が通るようになります。それをただ待てばよいのです。
立禅を組んだなら、時間も気にする必要はありません。何か力んできなかな、と思えば止めればいいし、休んでまたやりたくなったらやればよいのです。あくまで自分の身体と相談しながら気長にのんびり立禅と向き合って下さいね。
練精会の立禅の最大の目的は、全身に重力(重さ)を通すことです。
身体に重力が通ったなら重さを自在に使いこなすことが可能になります。力を入れていないのに身体は山のように安定し、また力を入れていないのに滑らかで淀みない動きが出来、そして力を入れていないのに強大な威力を生み出すことが可能になるのです。
では、重力を通すための立禅の要訣とは・・・身体の力を抜くことだけ意識してただ立ち続けるだけです。他に何もありません。
後は年月(時間)が解決してくれます。年月をかけて立禅に取り組んでいれば、いつか自然に重力が通るようになります。それをただ待てばよいのです。
立禅を組んだなら、時間も気にする必要はありません。何か力んできなかな、と思えば止めればいいし、休んでまたやりたくなったらやればよいのです。あくまで自分の身体と相談しながら気長にのんびり立禅と向き合って下さいね。
posted by ロン at 17:14| 日記