2020年08月19日

傍観者

空体道にとって、自分がと言う意識が弊害となることがあります。

型において自分が動く、対練において自分が技をかける、組み手において自分が攻防をおこなう・・・

そんな自分がと言う意識が、作為を生み、力みを生み、居付きを生み、身体と心の調和を分断させるのです。

そうなれば、型も対練も組み手も上手くはいきません。ですから自分がと言う自我意識から離れる必要があるのです。

傍観者の意識を持ちましょう。自分の感情、動きをただ見つめている、第三者の自分を意識するのです。

本来の自分が、仮の自分を何の批判もなくただ見つめ続けることによって、いつのかにか作為も、力みも、居付きも消えていき、人本来の可能性が発揮されるのだと私は思っています。
posted by ロン at 10:31| 日記

2020年08月18日

静の武術

私は自分の創始した空体道を静の武術にしたいと思っています。

人間、歳を取れば取るほど、大きな動き、速い動き、柔軟性のある動き、躍動感のある動き、複雑な動きは難しくなります。

私ももうすぐ61歳。上記のような動きはきつい年齢です。

なので静の武術を目指します。小さな動き、遅い動き、普通の動き、静かな動き、簡素な動きで、相手を制する武術であれば、体格も年齢も性別も超越できる可能性があるのでは・・・私はそう思っているのです。

そのキーワードは重さ。今まで何回も書いていることなのですが、自身の重さの最大活用に私はその可能性を見出しているのです。

重さの最大活用は、重力との調和から生まれます。それは人の秘められた可能性の現われです。

だから会員さんは、動きが鈍いとか、型が覚えられないとか、技を上手く出来ないとか、組み手が苦手とか・・・そんなことは二の次で良いのです。とにかくただひたすらに身体の力を抜くことだけに取り組んでほしいのです。

身体の力を抜くことは、静の武術にもっとも早く近づく方法だと私は思っています。
posted by ロン at 20:11| 日記

2020年08月17日

筋肉の連動

その動きに必要な全身の筋肉が連動して働けばその力は非常に強力です。

しかしこの筋肉の連動が非常に難しいのです。肩や腕だけ働いたり、腰だけ働いたり、脚だけ働いたりしてなかなか全身の筋肉は連動して働きません。

各流派、各門派、それぞれに様々な工夫をして全身連動の仕方を確立していると思います。

空体道ではこの全身連動を脱力によって求めていきます。力を抜き、全身に重さ(重力)を通すことによって、その重さが全身の筋肉を連動して働かせてくれると私は思っています。

なので会員の皆さんは、全身の筋肉を連動させようと思うより、全身の力を抜くことだけ、ただそれだけを思って稽古してほしいのです。

全身の脱力によって、その結果全身の筋肉は自然と連動する。これが空体道の考えなのです。
posted by ロン at 16:50| 日記

2020年08月16日

自分を薄める

「自分が身体を動かしている」この感覚は作為、力み、居付き、部分的に動きを生じさせ易くなってしまいます。

だから、「自分が身体を動かしているのではなく」、「身体(本来)の動きを妨げない範囲で自分が存在する」ぐらいの気持ちを会員さんは持ってほしいのです。

「自分」と言う自我を限りなく薄めることによって、「自分」と「身体」は調和するのだと私は思っています。

対練、組み手で、こうしてやろう、ああしてやろう(自分主体)、ではなく、こうなっていた、ああなっていた(身体主体)、と思えたなら空体道が進歩した証拠です。
posted by ロン at 10:36| 日記

2020年08月15日

身体の可能性

私はよく身体の可能性という言葉を使います。

この身体の可能性と言うのは、もちろん身体の身体能力(動き)のことも表しますが、それ以上に大切にしているのは身体の質のことを表しているのです。

身体の可能性の身体の質とは、脱力により全身に重さが通り、重力と調和した身体です。

その身体はどんな動きをしようと重力と調和しているので、全身の重さが常に伴います。

相手に触れれば、全身の重さの打撃となり、相手に触れれば、全身の重さの崩し、投げとなる。

私もまだまだその境地には遠い身ではありますが、練精会で目指すべきは、身体の質の可能性の探求なのです。

なので会員の皆さんは、身体の動きを磨くことも大切ですが、それ以上に身体の質を磨くことを念頭において空体道の稽古に望んでほしいのです。
posted by ロン at 09:07| 日記