たまに他の武道、武術を学ばれている方が見学に来られることがあります。
私の動画を見て、自分が学んでいる武道、武術の上達のヒントを得られるかもしれないと期待もあって来られるのでしょうか。
私が会員さんを対練や組み手で崩したり、投げたりするのを見てこんな質問をされる方もいます。
「どのような身体操作をすれば、あるような技が可能になるのでしょうか?」
そんな質問に対する答えはいつも同じです。
「身体操作的なことは空体道ではしないのです。身体のどこかの箇所をどのように使って動かすと言った教えは空体道ではありません。基本的にただ動くだけなのです」
そしてこう付け加えます。
「ただ動くと言いましたが、徹底して力を抜くことだけを意識し、何年も、何年も、何年も、そして何年もひたすら脱力の稽古を続けることによって、少しは全身に重さ(重力)が通ってきた身体だからこそ、ただ普通に動くだけであのような威力が生まれるのです。私の創った空体道は力を抜くことが全ての武術なのです。それ以外の教えはあまりありません。なのでせっかく見学に来られたのに申し訳ないのですが、貴方の武術、武道の参考になること、ヒントになることは何も無いかもしれません」
いつもこんな素っ気の無い返事になってしまうのですが、それしか答えようもないもの事実なのです。でもそれだけでは可愛そうなので、最後に私の重さを少しだけ体験してもらって帰ってもらうようにしています。
もし自分の学ばれている武術、武道の参考、ヒントを期待して見学に来られる方は大変申し訳ないですがこんな答えしか出来ませんのでご了承下さいね。
2022年05月06日
遊びを無くす
空体道において身体の遊びを無くすことはとても大切です。
身体の遊びとは、身体のクッションのようなものです。
筋肉の遊び、関節の遊び、骨格の遊び・・・
これらの遊びをそのままにしておくと、遊び(クッション)が技の威力を緩和してしまい、十分に相手に威力を伝えることが難しくなってしまいます。
では空体道ではこの身体の遊び(クッション)をどのように無くしていくかと言えば・・・徹底した脱力により、全身に重さ(重力)を通すことによってその問題を解消していくのです。
不思議なことに、身体に重さ(重力)が通れば、通るほどに、その重さの質が高純度、高密度となり、全身が硬質感を伴って統一化されます。
そうなると身体の遊びがまったくなくなり、触れた瞬間にすべての重さが相手に伝わるようになります。
私はまだまだ未熟ですが、少しは身体の遊びが減っていますので、その片鱗を体現出来るようになってきました。会員さんも長く稽古を続けていけば、かならず遊びを減らすことが出来ると思います。
とにかくあせらずしっくり空体道の稽古に取り組んで下さいね。
身体の遊びとは、身体のクッションのようなものです。
筋肉の遊び、関節の遊び、骨格の遊び・・・
これらの遊びをそのままにしておくと、遊び(クッション)が技の威力を緩和してしまい、十分に相手に威力を伝えることが難しくなってしまいます。
では空体道ではこの身体の遊び(クッション)をどのように無くしていくかと言えば・・・徹底した脱力により、全身に重さ(重力)を通すことによってその問題を解消していくのです。
不思議なことに、身体に重さ(重力)が通れば、通るほどに、その重さの質が高純度、高密度となり、全身が硬質感を伴って統一化されます。
そうなると身体の遊びがまったくなくなり、触れた瞬間にすべての重さが相手に伝わるようになります。
私はまだまだ未熟ですが、少しは身体の遊びが減っていますので、その片鱗を体現出来るようになってきました。会員さんも長く稽古を続けていけば、かならず遊びを減らすことが出来ると思います。
とにかくあせらずしっくり空体道の稽古に取り組んで下さいね。
posted by ロン at 10:57| 日記
2022年05月05日
突きについて
今回は空体道の突きについてのお話です。
空体道の稽古を続け、ある程度力が抜けた身体になれば、それなりに威力がある突き打てるようになります。
でもそれなりの威力ではだめなのです。体格も年齢も性別も超越した武術を目指すのであれば、突きの威力もそれなりではなく、超絶レベルの威力が必要だと私は思っています。
空体道の突きの稽古は、接近戦での戦いを想定していますので、突きの途中まではゆっくり突き、腕が伸びきる手前の段階で素早く突きます。いわゆる寸勁的な突きも考慮した突き方となっているのです。
その突きは、一見手打ちのように見えますが、手打ちのように見えて、実は手打ちではありません。全身を使っています。さらに言うなら全身の重さを使って突きを繰り出しているのです。
全身の重さを使って、当たる瞬間に爆発させるように打ち出す。これが空体道の理想とする突きです。
そのためには突きの稽古はもちろん重要ですが、その土台になる身体の安定が何より大切になります。
毎度のことですが、全身の重さが足裏まで落ちて、全身に重力が通った身体の安定があって初めて、身体すべての重さの詰まった超絶的な威力の突きが生まれるのです。
で、私がこの理想とする突きを体現出来るのかと言えば・・・まだまだ未熟。せいぜい30パーセンぐらいの威力でしょうか。
そしていつの日か100パーセントの突きが放てるようになった時、逆説的ですが、突かなくても相手を制する境地にたどり着いているのかもしれません。
空体道の稽古を続け、ある程度力が抜けた身体になれば、それなりに威力がある突き打てるようになります。
でもそれなりの威力ではだめなのです。体格も年齢も性別も超越した武術を目指すのであれば、突きの威力もそれなりではなく、超絶レベルの威力が必要だと私は思っています。
空体道の突きの稽古は、接近戦での戦いを想定していますので、突きの途中まではゆっくり突き、腕が伸びきる手前の段階で素早く突きます。いわゆる寸勁的な突きも考慮した突き方となっているのです。
その突きは、一見手打ちのように見えますが、手打ちのように見えて、実は手打ちではありません。全身を使っています。さらに言うなら全身の重さを使って突きを繰り出しているのです。
全身の重さを使って、当たる瞬間に爆発させるように打ち出す。これが空体道の理想とする突きです。
そのためには突きの稽古はもちろん重要ですが、その土台になる身体の安定が何より大切になります。
毎度のことですが、全身の重さが足裏まで落ちて、全身に重力が通った身体の安定があって初めて、身体すべての重さの詰まった超絶的な威力の突きが生まれるのです。
で、私がこの理想とする突きを体現出来るのかと言えば・・・まだまだ未熟。せいぜい30パーセンぐらいの威力でしょうか。
そしていつの日か100パーセントの突きが放てるようになった時、逆説的ですが、突かなくても相手を制する境地にたどり着いているのかもしれません。
posted by ロン at 15:53| 日記
2022年05月04日
猫背に注意
空体道の脱力は身体の力を抜くことが大基本です。
しかし最初のうちは「力を抜きましょう」と言うと、どうしても身体をくた〜っとさせ、首が前に出て、背中が猫背になってしまいがちです。
しかしそれでは空体道の理想とする、身体の重さを全て足裏まで落とし、全身に重力が通った統一体の身体に至ることは出来ません。
身体はあくまでまっすぐの姿勢を崩していけないのです。ただしまっすぐを意識しすぎて胸が張り、腰が反ってしまっても空体道にとってはよい姿勢とは言えません。
身体の表面はへたれにもならず、またそっくり返ることもなく、自然でまっすぐな姿勢のまま、身体内面の力を抜くことが大切です。
会員さんで力んでそっくり返る姿勢の人はいませんが、猫背気味の人はけっこういますので、くれぐれも猫背の姿勢に注意して下さいね。
しかし最初のうちは「力を抜きましょう」と言うと、どうしても身体をくた〜っとさせ、首が前に出て、背中が猫背になってしまいがちです。
しかしそれでは空体道の理想とする、身体の重さを全て足裏まで落とし、全身に重力が通った統一体の身体に至ることは出来ません。
身体はあくまでまっすぐの姿勢を崩していけないのです。ただしまっすぐを意識しすぎて胸が張り、腰が反ってしまっても空体道にとってはよい姿勢とは言えません。
身体の表面はへたれにもならず、またそっくり返ることもなく、自然でまっすぐな姿勢のまま、身体内面の力を抜くことが大切です。
会員さんで力んでそっくり返る姿勢の人はいませんが、猫背気味の人はけっこういますので、くれぐれも猫背の姿勢に注意して下さいね。
posted by ロン at 21:30| 日記
2022年05月03日
いつか・・・
空体道には、身体に対する明確な意識の持ち方や身体操作法が無いため、最初のうちはよく分からない武術かもしれません。
私が言うことは基本的に「身体の力を抜きましょう」と「身体の重さを頭から足裏まで落としましょう」そして「全身に重さを通し、重力と調和して、統一体へと至りましょう」だけです。
これだけでは漠然としすぎてなにがなんだかさっぱり分からないかもしれません。
でもそれでいいのだと私は思っています。
ただ空体道の稽古を続けていけばよいのです。何年も、何年も、何年も、何年も、そして何年も・・・
そのうちいつか私の言葉の意味と感覚が自然とわかる時が訪れます。
その時が来るまで稽古を続けられるかどうかが、空体道の分かれ道となります。
何度か書いていることですが、ほんの一生だけ稽古するだけでよいのです。そうすればかならずいつか・・・
私が言うことは基本的に「身体の力を抜きましょう」と「身体の重さを頭から足裏まで落としましょう」そして「全身に重さを通し、重力と調和して、統一体へと至りましょう」だけです。
これだけでは漠然としすぎてなにがなんだかさっぱり分からないかもしれません。
でもそれでいいのだと私は思っています。
ただ空体道の稽古を続けていけばよいのです。何年も、何年も、何年も、何年も、そして何年も・・・
そのうちいつか私の言葉の意味と感覚が自然とわかる時が訪れます。
その時が来るまで稽古を続けられるかどうかが、空体道の分かれ道となります。
何度か書いていることですが、ほんの一生だけ稽古するだけでよいのです。そうすればかならずいつか・・・
posted by ロン at 17:54| 日記