2025年03月15日

出来ないことを知る

私は武術、武道のにおいて組手は重要な稽古法だと思っています。

それは自分が出来ないことを知ることが出来るからです。

型がきれいに動けていても、対練で技が上手く出来ていても、いざ自由攻防の組手ではきれいに動けないし、技も上手く出来ないことのほうが多いからです。

自分が出来ないことを知る意味において組手は大切な稽古法です。それくらい自由に動き回り、自由に攻撃し、自由に抵抗する相手を自分の思うように制御することは難しいのです。

練精会の組手は相手に深いダメージを与えない範囲のソフト組手ですが、それでもやはり相手を制御することは楽なことではありません。

そして出来ない自分を知ることによって、より基本、型、対練と言った稽古法に励むことが出来るのです。

これはもちろん組手をしない武術、武道の批判ではまったくありません。あくまで練精会の武術体系においての私の個人的な思いなので、会員さんはそのへんを誤解しないように読んで下さいね。
posted by ロン at 11:42| 日記

2025年03月07日

筋力より重力

私が目指すものは筋力より重力の比率を高め続ける武術です。

筋力主体の動き、技の威力ではなく、重力(重さ)主体の動き、技の動きを高めていきたいのです。

なので重力を主エネルギー源として、筋力はそのサポート的な役割として活用しようと思っています。

そのようにシフトしていかなければ、老齢になっての進歩、進化は難しいと私は考えているのです。

で、現在(65歳)の自分はどうかと言えば、まだまだ筋力に頼りすぎていることを感じています。もっともっと筋出力を減らして、もっともっと重力を活用する必要があります。

私でさえそうなので、会員さんにおいては筋力が9割、重力が1割ぐらいの比率なのではないでしょうか。まだまだと言うか、全然脱力が足りませんよね。

重力の比率が増えていくにしたがって、身体の負荷(負担)がどんどん減っていきます。動いても疲れにくい、相手を打っても、崩しても、投げても、こちらはわずかしか手応えがないのに、相手には強烈なダメージを与えることが可能になります。

筋力より重力。この言葉を会員さんは絶対に忘れずに稽古に臨んで下さいね。

posted by ロン at 19:17| 日記

2025年03月05日

普通の動き

私は普通の動きの武術が良いと思っています。

例えば第三者が練精会の型を見て「う〜ん、何か普通の動きだな〜」と思えるような動きが良いのです。

普通の動きと言うのは、身体のどこかに突出した動きが無いと言うことです。そんな突出した動きのない動きは、相手にとってこちらの動きの起こり(初動)が分かりづらい動きなのです。

なので普通の動きであればあるほど、相手の反応が遅れてしまうのです。

でも動きの内面まで普通ではいけません。動きは普通でもその内面は異質なのです。

どう異質かと言えば、あくまで感覚としての表現ですが、筋肉、骨、内臓の代わりに、重力(重さ)がみっしりと詰まっている身体の質です。

そうなれば、動きは普通に見えて、技の威力は異常となります。何気ない普通の動きで相手に触れたなら、そこから異常とも言える威力が相手に伝わる身体。そんな身体を練精会は追い求めています。

私がお迎えがまだ来なくて90歳になったとして、よたよた歩いていると、正面から若者が走ってきてぶっかってしまいました。すると90歳の私はそのまま立っていて、ぶっかった若者の方は自動車と正面衝突したかのように吹っ飛んでしまう・・・

動きは普通、威力は異常。そんな90歳を迎えられたら幸せですね(笑)
posted by ロン at 18:07| 日記

2025年03月03日

ただ稽古を・・・

いつも私が示している練精会の身体の質(重力の通った身体)を会員さんも早く身につけたいと思っていることでしょう。

でも練精会の身体の質の獲得には正直、要訣と言ったものはありません。

私はこう思っています。そんなインスタントに身につけられる身体の質で本当に自分の身を守ることが出来るのか?衰えない強さが身につくのか?と。

とにかくただ稽古を続けるしかないのです。私の身体の質もそうやって稽古を続けていく中で自然に得られたものです。私も長い時間、長い年月が必要でした・・・

でもそんな自身の経験から生まれたのが今の練精会の武術体系です。なのでただ稽古を続けていればいつか私の質と同様の身体の質を手にすることが出来るように体系されていると思っています。

逆に言えば他派の動画を見ても、他派の書籍を読んでもあまり意味とも思っています。他派の思想と練精会の思想がまったく同一と言うことはまずありません。なので混じることはマイナスでもあるのです。

頭で考えるより、稽古(身体)で考えて下さい。会員さんが身体で考えられように毎回私の技(身の質)を体験させているのですから。

ただひたすらに稽古を続けることです。私もただひたすら稽古を続けるのみなのです。

もう一度言います。会員さんは頭(知識)で考えるのではなく、身体(感覚)で考えることです。結果的にそれが一番の近道となるのです。



posted by ロン at 19:20| 日記

2025年02月25日

打ちあわない

空体道や円転太極拳は打ちあわない武術です。

昔、さんざん他派の武術、武道の経験者(主に空手道の方が多かったです)との交流組手で打ち合いを経験しましたので、打ち合いになればこちらの攻撃も当たれば、相手の攻撃ももらってしまう可能性があります。当たり前と言えば当たり前なことですね。

これが歳を取れば取るほど攻撃をもらうリスクが高まり、また歳を取れば取るほど受けたダメージが深刻になってしまいます(歳とともに耐久力も落ちますので)

なので私は相手が打ってきたら、自分の両手を交差して相手の攻撃手に触れていき(触れるのと受けるのは違います)、すかさず相手の反対の手にも接触して、相手の両手の動き(攻撃)を封じます。

その上で(相手の両手の動きを封じたまま)、打撃技、崩し技、投げ技を繰り出します。

とにかく歳を取って脆くなった身としては、相手の攻撃がたとえ軽くても受けたくないのです。軽い攻撃でも効いてしまう可能性があるからです。

そしてここで問題なのは、相手の手(腕)に触れて、本当に相手の攻撃を封じることが可能なのかと言うことです。正直に言えば普通は難しいです。素人ならまだしも武道、武術で鍛え上げられた人には通じにくい戦法なのです。

なので強大な重さが必要です。相手の手や腕どころか全身が動けなくなるような重さがあって初めて鍛え上げられた相手を封じることが出来ると思っています。

私も会員さん相手の組手であれば可能ですが、まだまだ未熟な段階なのであまり偉そうなことは言えません。

だから今もひたすら脱力の稽古に明け暮れている訳です。そしていつの日は本当に打ちあわず相手を制してしまう境地にたどりつけたらと願っています。



posted by ロン at 21:21| 日記