2021年03月17日

前後対上下

前後対上下。何だか分かりづらい表現ですが、これは会員さんと私の押し合いの時の意識なのです。

会員さんが前後、私が上下。会員さんが何人かかっても私を押せないのは、身体と意識が押す方向(前後)に向いているからです。そして私が押されないのは、身体と意識が重力方向(上下)に向いているからです。

前後の身体と意識は一見、強く押せるように思えますが、実はそんなに重さが伝わらないのです。それは重力と調和していないからです。

でも上下の身体と意識になると、重力と調和することが出来て、重力が相手の力を足裏まで流してくれるのです。そうなると相手は私ではなく、私の足裏(地面)を押していることとなり、押せないどころかその力が全部自分に返ってきてしまいます。

身体の力が本当に抜けたなら必要ありませんが、それまでは会員さんは作為的にならない程度に常日頃から、上下(重力方向)を意識するとよいですよ。

posted by ロン at 10:27| 日記

2021年03月15日

高めるもの

家での空体道の一人稽古は相変わらず、立つ稽古(立禅)と歩く稽古(前進歩、後退歩)だけで、突き蹴りのような打撃練習や空法や自由舞のような型練習はほとんどしません。ただひたすら立つ事、歩く事だけしています。

今の私が一番高めたいものは、突き蹴りでもなく、技でもなく、動きでもなく、重さだからです。

立つ稽古と歩く稽古は重さの強化にとても効果があります。重さの強化と言っても体重の増加(笑)の意味ではありません。重さの質を高める意味です。

立つ事、歩く事によって、重さの密度がどんどん増し、いつか身体が重さそのもの(重力との調和)となる段階にいたることが出来ると私は思っています。

何度も言いますが、空体道の稽古の本質は、立つ事、歩く事にあります。その上での型、対練、組み手なのです。会員さんも一人稽古の時は、立つ練習、歩く練習を忘れずにおこなって下さいね。
posted by ロン at 16:48| 日記

2021年03月12日

丹田からの膨張

前にも書きましたが、立禅中(10分ぐらいから)に下腹の奥(丹田)あたりから全身に膨張する感覚が訪れます。

なぜそうなるのか分かりませんが、自分なり(妄想的に)に考察してみました。

脱力による立禅により、重さが身体の中を通って頭から足裏まで落ち、そして重さは足裏(地面)からの抗力で身体の中を上がってきます。

この上からの力(重さ)と下からの力(重さ)によって、丹田が上下から圧迫され、その反作用によって、丹田から全身に膨張感(張り)が生じるように感じています。

その膨張感によって私のお腹はパンパンに張ってきます。妻のゆりかにそのお腹を見せると「何これ、面白い」とお腹をナデナデされます(笑)

でもいつも言っていますが、だから強いわけでも、すごいわけでもありません。まだまだ未熟です。

これを読んだ会員さんは「よし自分も」、と作為的に張りを作り出そうとしてはいけません。自然にそうなるのを待てばよいのです。作為は力みを生じさせます。

以上、いつものように今回も妄想、幻想全開のお話になってしまいました。
posted by ロン at 14:35| 日記

2021年03月11日

しっかり立つ

最近少し思うことがあります。

(全身の力が抜けて)しっかり立っている人と組み合うと、そのあまりのしっかり感によって、こちらが動かずとも組んだ相手が無意識にバランスを崩すのではないか、と思うのです。

最近、そんなことを副代表のゆりかや会員さんから聞くことがあります。

私の感覚では脱力体に組んだ瞬間、その重さに引き寄せられてバランスを崩してしまうような感覚でしょうか。

まるで人の身体から引力が発生しているかのようですね(笑)

でもまだまだ未熟な身なのは、私自身がはっきり自覚しています。だから強い訳でも、すごい訳でもありません。あくまで妄想的な感想です。

しかし、人の身体の可能性と言うか、脱力の可能性と言うか、とにかく61歳の私がまだまだ伸び続ける可能性を実感出来るのは幸せなことではあります。

なのでもっともっと力を抜いてもっともっとしっかり立つ感覚を磨いていきたいと思っています。
posted by ロン at 18:07| 日記

2021年03月04日

脱力の認識

私の脱力に関するの認識が当初と現在ではかなり違ってきています。

当初の認識では脱力とは、柔軟・・・しなやか・・・変化・・・ゆらぎ・・・流れ・・・流動体、と思い、それを目指していた時期がありまし、そう指導もして来ました。

現在の認識では脱力とは、重厚・・・塊・・・密度・・・まとまり・・・凝縮・・・統一体、と思い、それを目指していますし、そのように指導もしています。

当初と現在の認識、どちらが良い悪いと言うことはなく、ただ私の身体の質の結果としてそうなっただけの話ではあります。

いつから脱力の認識が後者になったのか定かではありませんが5・6年前くらいかもしれません。まあよく分かりません。

ただこの認識の違いによって稽古体系、稽古内容に明らかな変化があったことは事実です。

後者の認識により、より立つ稽古、歩く稽古の比重が高まり、対人稽古もよりシンプルになっているようです。

この認識の結果が出るのはまだ先の話し。吉と出るか凶と出るか、ある意味ワクワクしながら稽古を続けて待ちたいと思います。

会員の皆さんも吉と出ることを祈ってくださいね(笑)
posted by ロン at 23:05| 日記