2020年07月12日

まだまだ

稽古のときは無論ですが、日常生活でも脱力について色々感じることがあります。

車の運転をしながら、身体の部分に脱力が足りないのが分かる・・・立っている時、車の運転の時とは違う箇所の脱力が足りないのが分かる・・・歩いている時、車の運転や立っている時とは違う箇所の脱力の足りないのが分かる・・・

まあ、全然脱力が足りないのが分かるのです。まだまだ修行が足りません(笑)

でも気づいたらある程度はゆるめて修正することが出来るようにもなっています。その時の気持ちのよいこと、よいこと・・・車の運転が楽しくなり・・・じっと立ち続けたくなったり・・・どこまでも歩き続けたくなったり・・・

私にとって脱力の武術は人生そのものなのだなぁとしみじみ感じています。

posted by ロン at 16:58| 日記

2020年07月11日

鍛えない

練精会の空体道は鍛えない武術です。

これは私の性格が反映されているせいで鍛えない武術が良いと言う意味ではありません。

現に私と同い年で友人の鍛え上げられた二人の空手家は、60歳を越えても一人は一撃必倒の切れのよいの上段回し蹴りをいとも簡単に放ちますし、もう一人も当たれば芯まで響く正拳突きや前蹴りを連続して放ってきます。

ただ私は鍛えることが苦手なので、どうすれば鍛え上げずに進歩出来る武術を目指せるかを模索してきただけです。

鍛えない武術の特徴は、徹底して鍛えないことを実践することに尽きると思います。

とにかく基本にしても型にしても対練、組み手にしても、さらに武器術にしても、ただひたすら力をぬいて動くことだけに思いを向けて、力を抜く行為以外はすべて捨て去る覚悟を持って稽古するのです。

なのでその間、強さも、速さも、威力も、激しさも、勢いも、すべて忘れて稽古しなければなりません。中途半端な力の抜き方では何も生まれないと私は思っています。鍛え上げる方々の情熱と同じくらいの情熱を持って力を抜く稽古を続けるのです。

情熱を持って力を抜く稽古とは変な表現かも知れませんが(笑)・・・

とにかく会員さんに力を抜くことは、ネガティブでもひ弱でもないことを知ってほしいのです。

力を抜く稽古の先には、鍛える稽古と同じくらい素晴らしい世界が待っていると私は確信しています。

なので会員さんはこらからも頑張らないように頑張って(笑)稽古に望んでくださいね。
posted by ロン at 17:12| 日記

2020年07月10日

自分なりに分かったこと

21年前練精会を発足して、とにかく武術を高めなければと言う思いが強かったように思います。

なので様々な身体操作法を研究、試したり、また他武道、他格闘技の方々と交流組み手、交流スパーリングを繰り返しました。

そしてふとこの頃思うのです。上記のように何かをすることはとても大切ですが、何かをしないことも同じくらい大切なのではないかと・・・

研究もせず、試すこともせず、ただひたすら力を抜くことだけ、ただそれだけの稽古を続けることによっても武術の高みに登ることが出来るかもしれない。

そんなことを今は思っています。

何かをしないことは、ある意味他力本願と言えるかもしれません。「私(エゴ)」が何かをしないことによって、私の中に存在する何かが働いてくれるような気がしています。

何かをすることも大変ですが、何かをしないことも意外と大変です。何かにつけすぐに「私」が何かをしようと出しゃばってくるのです。

「私」を静めるためには、とにかく練精会の稽古においては力を抜くことだけを思い、他に意識が向かわないようにすることです。力を抜くだけでも一生かかるものです。他を思う余裕はありません。

そうすれば少しずつ「私」が大人しくなってくれるでしょう。私もまだまだですが・・・(笑)
posted by ロン at 19:46| 日記

2020年07月09日

思い通りにならない

前回の内容につながるお話です。

練精会の稽古には自由組み手があります。激しくないソフト組み手ですが、一応禁じ手の少ない自由攻防になっています。

練精会の組み手の意義は強くなることよりも、思い通りにならない現実を知ることにあります。

対練で上手く技が決まっても、相手が自由に防御、反撃する自由組み手では思うように打撃が当たったり、投げが決まることはなかなかあることではありません。

「でも先生は私たちと組み手をする時は、思うように技をかけているように見えるのですが」

こんな会員さんの声が聞こえてきそうですが、私と会員さんとでは実力がかなり違います。しかしそれでも
あそこで打撃が当たるはずだったとか、そこで投げが決まるはずだったと、私もまだまだ思い通りになんかいっていないのです。

そこで会員さんへアドバイスです。組み手においては(対練でもそうですが)、思うようにならないもの、出来なくて当たり前、失敗してもともと、と言う良い意味での諦めの心(諦念)を持ってほしいのです。

やってやろうと言う気持ちも捨て、やられたくないと言う気持ちも捨てることです・・・

そうやって思い通りにならなくても気にせず、ただ淡々と組み手に取り組んでいるうちに、自分でも気づかないうちに打撃が当たったり、投げが決まるようになってくるものです。

会員さんは思い通りにならないものを思い通りにしようとせず、思い通りにならないことをそのまま受け入れてほしいのです。
posted by ロン at 20:14| 日記

2020年07月08日

諦念

空体道や円転太極拳において持ってはいけない気持ちがあります。

それは

強くなろうとする気持ち、鍛えようとする気持ち、やり応え(達成感)の気持ち

です。

空体道にしても円転太極拳にしても脱力に特化した武術なので、上記の気持ちを持つと、身体や心に力みが生じやすいのです。

なので会員さんは良い意味での諦念、諦めの気持ちを持ってほしいのです。

強くなろうと思わない、鍛えようと思わない、やり応え(達成感)も持たず、ただ淡々と稽古に稽古に望んで下さい。

練精会の武術は、望まなければその望みが叶う武術と言えるかも知れません。
posted by ロン at 16:26| 日記